1月 29

鼻茸の手術で入院した夏休み

私が鼻茸という病気で入院したのは中学2年生の時の夏休みでした。小学6年生の春に鼻水が止まらなくなり、花粉症にでもなったのかと思っていました。

鼻詰まりが酷くなり、夜も寝ている時には大きないびきをかいていると親に言われました。それでもなかなか病院に行く気になれずに放っておきましたが、友人がたまたま耳鼻科に行くというので一緒に行くことにしました。

耳鼻科で診てもらうと、すぐに紹介状を書くから大きな病院に行ってくださいと言われ、総合病院に行くと手術をしないと取れないから夏休みに1週間入院してほしいと言われました。

鼻茸で入院&手術

成人男性の鼻

鼻茸というのは鼻の奥の空洞にできるポリープのことで、形がきのこのようになっていることから鼻茸と呼ばれているそうです。

小さいものなら鼻の穴から簡単にとることができるようですが、私の場合は放置し過ぎていたため大きく成長してしまったものと、小さいものが多数出来てしまっていたため入院が必要とのことでした。

大きいと言っても鼻の穴から取り出せる大きさだったので局部麻酔で簡単に取れると言われましたが、初めてのことなのでとても私は緊張していました。

入院した次の日に手術でしたが、検査で鼻の中に綿をこれでもかというほど入れられて鼻の形が変わってしまうほどでした。同室の人もドン引きするくらいの顔になってしまい、仲良くなれる気もせず私はとても寂しいと思っていました。

手術室に入り手術台に乗せられ、目隠しはされましたが局部麻酔のため意識はちゃんとしていますし、音や先生たちの声も聞こえます。ハッキリ言って恐怖しかなかったです。鼻に麻酔をされているのはわかっていたのですが、鼻の中でゴリゴリと取っている音がし、それが痛く聞こえて「痛い」と何回も言ってしまいました。

その都度、先生は私の鼻の中に麻酔をかけていたのだと思います。

手術中にそのまま眠ってしまい、起きた時はもう夜になっていました。

病気は早期発見がやっぱり大事

ベッドから降りてトイレに行き、そしてまた眠りにつきましたが夜中にとにかく吐き気を催してしまい体が動きませんでした。

ナースコール

ベッドの横にあるインターホンで看護師さんに連絡をするのがやっとでしたが「どうしました?」とインターホン越しに声をかけられたところで声を出したら吐いてしまいそうで何も言えずにいました。

何回も押して「どうしました?」と聞かれ、声を出せずそのまま・・・という状態を何度も繰り返し、時間はどれだけ経ったかはわかりませんが看護師さんが来てくれないため自分で洗面所まで行こうと体を起こしたとたんに嘔吐してしまいました。

嘔吐してしまったため、またインターホンを押し「どうしました?」との声にやっとで声にもならないような「うぉ、うぉ」という言葉を出しました。

それからしばらく看護師さんは来てくれなかったと思います。もしかしたら私が長時間に感じただけかもしれませんが、やっとで来てくれた看護師さんは「あぁ」とだけ言って手早くシーツを取り換えてくれました。吐きたかったら全部出してしまえと言われ、そのまま意識がなくなるまで吐きました。

初めての麻酔で痛くもないのに痛いと言ってしまったことで麻酔が強くかかってしまい、余計に気持ち悪くなってしまったのだと思います。局部麻酔も良いようで悪いようなイメージは何年たってもぬぐい切れません。

たったの1週間ではありましたが、病院の食事もおいしくないし、散々な思いしか無くて、それからは少しでも具合が悪いとすぐに病院に行くようにしています。どんな病気でも早めに処置をすれば苦しい思いはあまりせずに済むのではないかと思っています。

1月 19

仕事のストレスと不規則な生活が影響し大腸癌に・・・

毎日、仕事で忙しくしていた僕は、家に帰るのも遅く不規則な生活をしていました。そのせいかストレスも多く感じていて、顔色は悪く、腹痛にもたびたび襲われていました。ただゆっくり心と体を休めれば治ると思って「そのうちタイミングが合えば休もう」と放置していました。

血便が・・・

お腹の激痛

そんなある日、仕事中にいつもとは違う腹痛に見舞われ、立ってる事もできず、トイレから出られない時がありました。その時は気にもせず自宅に帰り排便すると激しい鮮血の便が出ました。さすがにただ事ではないと思い後日、胃腸外科で精密検査を受ける事になりました。

病気など今まであまりした事がなかったので、悪い方には考えず軽い気持ちで受けたのです。ところが予定の検査が終わっても、さらに詳しく調べないといけないとの説明があり、検査入院をする事になりました。

今思えばこの時点でもう答えは出ていたのです。検査を終えて先生からの説明があると言われ部屋へ入ると、そこには先生の他に看護師が3人立っていました。ただ事ではないとすぐに気がつくと震えが止まりませんでした。

診断結果は大腸癌

医者の診断

先生の口から末期手前の大腸癌だと宣告されました。すると以外と冷静に話しを聞けてこの先どのような治療をするのかの説明を受けました。専門の大きな病院を紹介されそこに移る事になるのですが、患者さんの数が多くすぐに手術する事が出来ませんでした。

結局1ヶ月間、手術待ちで入院しました。その間は腸がつまるといけないので食事はできず点滴と流動食のみでした。その期間が今思えば一番辛かったように思います。

手術内容は腹腔鏡手術で行いました。手術後の一週間は傷口の痛みがひどくて夜も寝れない日が続きました。日に日に体調は良くなり、食事も固形物が食べれるようになり生きる喜びといっしょに噛みしめていました。退院する日も近づいてくると、この先の人生をどう生きていくかなどよく考えて過ごす日が増えました。

手術から5年が経ち「先生からはとりあえず完治ですね。」と言われ今はホッとしています。

12月 26

痔瘻(じろう)で手術&入院

5年前の42歳の時「痔瘻(じろう)」になりました。

突然の便秘

ある日突然、便秘になり、便が出なくなりました。ヨーグルトを食べたり、食物繊維の物を食べても、まったく出ません。それまで私は便秘になどなったことがなかったので、おかしいと思いながらも、病院に行くことなく改善を待ちました。

しかし、ある頃から高熱が治まらなくなり、尻も痛くなってきて、病院に転がり込みました。

医者の診断

医師に診てもらいましたが、原因が分からず、浣腸をしましたが、お腹の膨満感はとれず、便も出ません。

最初に診てくれた人とは違う別の医師が、肛門の上のしこりのようなものを見つけ、「これが原因かな」とそこをメスで切除したところ、大量の膿がでました。そして、それ以降、溜まっていた便も出て、熱も治まりました。

しかし、その後も、切除部分からは膿が出続け、何日たっても治まりません。医師は「そのうちに治ると思います」と言うだけ。結局、3週間たっても治りませんでした。

診断は痔瘻

私はしびれを切らして、肛門の権威である病院に行って診てもらったところ、触診した医師は「痔瘻です。手術しましょう」と言いました。

最初の病院に通ったあの3週間は、いったい何だったんだろうと思いました。やはり、病院選びは大事だとつくづく思いましたが、とりあえず原因が分かってホッとしました。

手術

医師によれば、肛門近くの窪みに菌がたまって化膿し、それが膿となって肥大し、便の通り道を圧迫していたとのこと。その化膿した部分を切除する手術になるとのことでした。

私はもともと過敏性腸症候群気味で、よく下痢をし、頻便でもあったため、電車に乗る前や、会議の前などに何度もトイレに行って気張っていたのですが、その際に肛門の窪みに菌が入り込み、仕事が多忙ななか、免疫力が低下していたことも相まって、化膿し、痔瘻になったのではないかと思いました。

手術は30分程度と聞いていましたが、括約筋の近くを切る難手術になったようで1時間半以上もかかってしまいました。

初めての入院生活を5日間ほどしました。なかなか快適で、体を休めることもできたかなと思いました。また、それまでの不摂生をあらためて、健康的な生活を維持しようと決意するきっかけにもなったと思います。

12月 13

蕁麻疹は突然に!四苦八苦した2週間の思い出

普段あまり病気にならない頑丈な体の私。社会人8年目の年度末、急に会社を退職した社員のタスクがどっとこちらに回ってきて、新しい人を雇うまでの1か月激務で終電近くまで残業、からのあまり眠らないまま早朝出勤の日々が続きました。

睡眠不足でも風邪なども引くことはなく何とか乗り切れそう・・・と思った矢先に悲劇は起こりました。

背中に感じるチクチクとした痛み

蕁麻疹

ある夜、なんだか最近寝てる時に背中がチクチク痛いんだよね・・・と思いながら脱衣所で背中を見てみたところ、背中の一部にぶわっと蚊に刺されたように赤く膨らんだ箇所が。その時はまだ広範囲ではなかったので、痒みを止める「ユースキン」という市販薬を患部に塗って「まあ、明日には消えてるだろう」と楽観的に考えてその晩は寝てしまいました。

翌朝、睡眠不足で眠い目をこすりつつ着替え中に背中をまた見てみたところ、なんと蕁麻疹が背中の広範囲や腕にまで広がっていたのです。今まで皮膚のトラブルはなく、初見の自分でも「これは何かおかしいぞ」とはっきりと自覚でき、その日は半休を取る連絡をして皮膚科の病院に向かいました。

診断は蕁麻疹

「これは蕁麻疹だね。心因的なものが原因じゃないかと思うけど、最近ストレス溜まる事なかった?」

お医者さんの診断で、これが蕁麻疹の症状なのだと初めて知りました。お薬を処方してもらい、数日患部に塗っていた所、痛みや痒みが収まり、赤い斑点も少しずつ消えていきました。

お医者さん曰くアレルギー反応なので市販で販売している薬だと、アレグラ辺りがあると薬が切れている状態でも代用物として使えるとの事で、処方していた薬が無くなった時はつなぎで大変お世話になりました。

なんだかんだで完治するまで2週間以上かかりましたが、夜眠れないぐらいの痒みと痛みだったので朝晩しっかり習慣のように薬を塗りました。ズボラな私ですがこの時は几帳面にお医者さんのいう事を守っていました。

蕁麻疹がまた再発しないよう、特に免疫力が落ちそうな時期は帰宅が遅くなったら夜更かしせずしっかり眠って疲労回復にあてるようにしています。

11月 22

子供への感染予防作戦!部屋にはおばけ(インフルエンザになった父)がいる

私は小学低学年と幼稚園の小さい子供2人を持つ父親です。去年の年末、会社から帰宅中に高熱を発症し、次の日に病院で検査を受けると「インフルエンザ」と診断されました。

大人でも耐えられないしんどさのインフルエンザに子供がなってしまうと大変です。そこで、嫁さんと相談し、病人の僕は子供部屋の一室に引きこもり、子供が入れないようにしました。

家族感染予防!作戦名「部屋にはおばけがいる」

おばけ

その時にとった作戦が「子供の部屋にはおばけがいる」です。とりあえず、部屋のドアも開けてほしくなかったので、ドアを触ったらおばけは気がつくから出てきてしまうと伝えてもらいました。

その結果、僕のインフルエンザが完治するまでの5日間、一切子供は部屋に入ろうとしませんでした。小学3年生の姉に聞いても、普通に信じていたようです。

5日目に、嫁さんが「ついにおばけを解放する時が来ました」というと「キャー」と言いながら逃げて行ったのです。普段は落ち着いて、しっかりしていると言われているのですが、声を聞くだけでも信じていたことがわかりました。慌てて逃げまわってました。

不精髭に顎鬚で顔の輪郭がわからない僕が出てくると、その姿を見て「キャー」と。えっ?お父さんだけど!と言いたかったのですが、おもしろかったので、白目にして脅かしてみました。

泣いている子供

期待通りというか期待以上で、下の子供は泣き出してしまいました。さすがにかわいそうになったので、お父さんだよというと、まずは頭にクエスチョンが見えました。そのあと、かなり怒られました。

子供の部屋に入り、最初に言った言葉が、「くさい」でした。確かに5日間お風呂に入ってないけど、窓はあけて風の出入りはさせてたはずなのに・・・。脅かした分のお返しか、ずっと加齢臭くさいと言われています。

今度また同じように子供と接触できないような病気になった時には「どんな作戦をしてやろうか」と夫婦で今回の話もしながら笑い合いながら考えています。そんな病気にはなりたくありませんけどね。

11月 09

アトピーに悩まされる日々

体をかく男性

私は重度のアトピーです。幼い頃から皮膚が弱く、耳の下が切れたり、関節部分が荒れたりと、身体全体が酷くボロボロになっています。当然ながら、皮膚科に行くとアトピーと診断されました。

私のアトピーはかなり強いアトピーのようで、毎年決まった時期になると症状がひどくなります。その度に皮膚科に行き毎回同じ薬をもらう生活をずっと続けてきました。

放置しているとますます酷くなるアトピー

中学生の頃になると、お尻などにも症状が現れ始め、丁度思春期なのでお尻を皮膚科で見てもらうのは恥ずかしく放っておいたら、益々症状が酷くなり気が付いたら猿のように真っ赤に染まったお尻になっていました。

これはさすがに大変だと思い病院に行き診てもらいましたが、ずっと放置していたため、赤身が中々取れず、現在も少し色づいている状態です。あの時もっと早く病院にいってちゃんとした対応を取っておけば・・・と後悔しています。

その頃の私は寝ている時に無意識によく体全体を掻きむしっていたみたいで、皮膚が荒れてしまったようなんです。掻く音がうるさく何度も両親から注意されましたが、何せ寝てる時に無意識に行っているので対策のしようがない状況でした。

完全に掻く癖が付いておりどうしようもなかったです。それに皮膚科に行くのも面倒になり放置した結果、赤身がかった皮膚になりました。もう完全に治ることは無いと思っています。

諦めずに薬を塗り続ける事が大事

アトピーの塗り薬

アトピーという病気は、真剣に向き合って定期的に皮膚科に行き薬をもらう事が大事だと思います。もちろん、薬を貰っても使わないと意味がありません。

私は面倒な事が嫌いなので1日2回の塗り薬を続けてきませんでした。本当に皮膚が痛くて眠れない時だけ薬を塗り症状を落ち着かせる、といった感じです。

しかしそんな私も今は毎日欠かさず塗っています。面倒で塗らずに症状が悪化し、また皮膚科に行く事になるとお金ももったいないし、何より自分の身体に悪いです。皮膚だからといって馬鹿にできません。皮膚が荒れそこから色んな黴菌が侵入してくると今度は身体全体を蝕んでいきます。こうならないようアトピーという症状と戦いながら毎日薬をしっかり塗り続ける事が大事だと思っています。

10月 26

急性肝炎になった時の思い出

今からかなり前になりますが、当時付き合っていた彼と海外旅行へ行き、旅行から帰ってきて半月ほどが経った時の話です。

海外旅行の疲れはとっくに取れているはずなのですが、体がだるくなり始めました。まだまだ若かったので「そのうち治るだろう」と高を括っていたのですが、徐々に体に変化が現れ始めました。

急性肝炎の初期症状

まず、だるさの次は顔のむくみ、特に目の下がむくんできました。そして徐々に手指にむくみが現れ始め、顔色が悪くなり始めました。

さらに1週間ほど経った時には、普通に歩くのも辛くなり、周辺の何かに捕まりながらではないと歩けない状態になってしまいました。

決定的だったのは、会社の先輩(なんでもズケズケいう男性)が私の顔を見て「どうしたの!?その顔。浮腫んでるよ」と言ったことでした。

いつもならば怒るのですが、その一言で他人にもわかるほどなのだとわかり、すぐに行きつけの病院に行きました。

肝炎の検査

そして肝臓が腫れているので念のため点滴をしてもらい帰宅しました。が、翌朝、検査結果が出て劇症肝炎になる一歩前なので即入院ということになりました。

原因は海外旅行中のウイルス!?

ウイルス性の急性肝炎という診断で、数値が以上に悪かったので絶対安静を言い渡されました。入院時の検査をするうちに会社の事や今後自分がどうなってしまうのかという不安からエコー中に泣いてしまいました。

看護師さんが優しい方で「この病気になったのは、今は治療に専念して、ゆっくり休みなさいという事を神様から言われてると思って」と励まされ少し気が楽になった記憶が今でもあります。

病室

その後、退院まで約2ヶ月ほど、朝晩二度の点滴、服薬、そして食事療法に安静という方法で徐々に数値を下げる事ができました。

自宅から3分ほどの病院だったのですが、設備が古い上に悪く、お風呂は週に二度ほど、しかもそのお風呂は入院後数日で故障。唯一の楽しみだったお風呂がなくなり、仕方なく病院前の美容院に行き洗髪してもらったこともありました。

ウイルス性だということでしたが、どこからの感染かはわかりませんでした。が、ひょっとすると海外で食べた食品に付いていたウイルスかもしれないと言われました。もしくは、肝炎の人と濃厚なキスをしたとかはありますか?とも聞かれて驚きましたが、もちろんありません、と答えました。

とにかく病気にならないように予防医療というものの重要性を実感した数カ月でした。その後はストレスを溜めないようにし健康に過ごせることを心がけています。

10月 18

百日咳にかかってしまいました

小学生の時に百日咳にかかってしまいました。熱はなく、咳だけです。咳が出だすとなかなかとまらず、息が出来ないために顔が真っ赤になってしまいます。しかし、咳の出ていない時はわりと元気なので、まわりに理解してもらえずとても辛い思いをしました。

百日咳による辛い思い出

咳が止まらない子供

信号が赤に変わりそうになって、急ぎたくても走ると咳き込んでしまいます。集団登校のリーダーは集合時間より遅れて来ては、走って学校へ行こうとするのでとても辛かったです。咳がとまらなくなるから走りたくないと言っても、「遅刻しちゃう」「怒られたらお前のせいだ」と自分が遅く来るのを棚に上げて攻められました。

体育の授業も途中で苦しくなってしまい、うずくまってしまうこともありました。しかし、他の時は熱もなく、食欲もあるので、さぼっていると思われることも多かったです。先生もなかなか理解してくれず、ケガ続き、病気続きだったので、「またやってる」くらいにしか思われませんでした。

先生の一言でクラスのみんなも理解が出来たと思うので、もう少し病気に対して理解を深めて欲しいと思いました。

ぜんそくと勘違いされやすい

百日咳の名の通り、咳が出なくなるまで100日くらいかかりました。乾いた咳だけれど、しつこく、出始めるととまらないのです。まわりにはぜん息の子も多かったので、勘違いされることもありました。

医者の診断

病院に行ってもぜん息の疑いをもたれ、百日咳と診断されたのもずいぶん経ってからでした。薬もずっと飲み続けなくてはならず、つらかったです。

咳をすると体力を消耗してしまうので、疲れやすく、学校から歩いて帰るのも辛い日もありました。早く寝ようと思っても、布団に入ると咳き込んでしまうことも多く、寝ていても起きていてもラクではない日々が続きました。

今では予防接種が一般的になっているようですが、私が小さい頃は予防接種はなかったのかもしれません。赤ちゃんや小さい子供にうつしてしまうと重症化することもあると聞いたので、毎年恒例の夏休みに親戚の家に行くこともできませんでした。生まれたばかりのいとこがいたからです。あんな辛い思いは誰にもして欲しくないと思います。

9月 30

睡眠薬と生活改善で不眠症に打ち勝つ

病気と言うのかは分かりませんが、私は重度の不眠症でした。

不眠症

学生時代からずっと不眠症で、「眠ければ学校で寝よう」と眠れない夜を読書でやりすごしていたのですが、基本的に学校でも眠れません。

学生時代はそれでも何とかなったのですが、仕事をやるようになったら大変です。眠れない次の日は、頭がぼーっとして仕事になりません。不眠については本当に切実に困ってました。

睡眠外来を受診

そこでまず、睡眠外来のある病院で診察を受け、薬によって調整することで解決しました。

ただ体に合う薬というのでしょうか、効果のある薬を見つけるのには苦労しました。というのも、家で服用するとウトウトするのですが、病院といういつもと違う場所では緊張感が違うのか、うとうともできず、ずっと一日(ほんとに丸一日)ぼんやりしてました。

淹れたてのコーヒー

薬物治療と平行して、生活習慣の改善も試みました。まずコーヒーは飲まないようにすること、そして昼間はなるべく部屋の外に出て布団には入らないことなど。お医者さんが良いと言う方法は全部やってみました。

午前4時とか5時に目が覚めてしまっても絶対に布団の外に出ない(トイレなどは例外)、夜は決められた時間に薬を飲んで横になるなど、すべてのことをやった結果、なんとか夜と言われる時間に眠り、朝と呼ばれる時間に起きられるようになりました。薬のおかげかもしれませんが。

医者の診断

不眠症というのはとても辛いんです。症状は基本的に眠れないだけなのですが、人によっては命にかかわることもあります。

眠れない人は、必ず病院にかかったほうが良いです。心療内科やメンタルクリニックなど。怖いところではありません。

そして、睡眠薬は決して悪い物ではありません。当然、用法・容量を守って適切に服用しなければなりませんが、不眠症改善には必須のツールだと個人的には思っています。薬に頼る事に嫌悪感や恐怖感を持っている人もいると思いますが、経験上、むしろ頼るべき物だと思います。

もちろん、お医者さんにそもそも薬を服用するのかという点から相談するようにしてくださいね。当然、薬を使用せずに不眠症を解決する方法がベストなわけですから。

:睡眠薬の服用についてはあくまで個人的な意見です。服用を考える場合は、必ず医師に相談の上、用法・容量を守り、正しく使用するようにしてください。

9月 15

咳だけが出続ける!?もしかしたらマイコプラズマ肺炎かも

今から15年ほど前になります。あるとき、喉が痛いわけでもないのに咳が出ることが多くなりました。

「軽い風邪かな」と思い、市販の総合風邪薬や咳止めの薬を飲んでいましたが、いつまでも症状は治まりません。熱もないし、鼻水もでない。咳は出るのに、喉は痛くないし、声がかすれるわけでもない。

少し不安を感じ始めたので、近くの内科医院に行きました。

私の平熱は35.5℃くらいの低めの体温です。病院で熱を計っても36℃には届かない。

その時は2月頃で「花粉症からくるアレルギーが喉に出たのかもしれない。」と言われ、アレルギーの咳止めを処方してもらいました。

症状は治まらず・・・

ですが、5日経っても症状は治まらず、以前よりも咳込むのが酷くなってきたので、再び病院へ。毎日熱は計ってもいましたが、いつも36℃以下。

医者の診断

医師に、今度は気管支炎か喘息かもしれないと言われて、前回とは違う咳止めの処方薬をもらいました。

それでも一向に症状は良くならず、咳が一度出始めるとずっと咳が止まらず、呼吸も苦しくなるくらいになっていて「さすがにこれはおかしいぞ」と家族も心配になるほどでした。

特に、夜に咳が出ると眠れなくなり、体調にも影響がでてきてしまいました。

別の病院で診察を受けると「マイコプラズマ肺炎」である事が判明

そこで今までの病院とは違う病院で診察を受け、そこで初めてレントゲンを撮ったら、肺の部分が真っ白になっていて、診察した先生も「よくここまで我慢できたね。なぜもっと早く来なかったの?」とあきれ気味に言われました。

レントゲン撮影

その先生によると、マイコプラズマ肺炎は普通の肺炎よりも見分けるのは簡単ではないけど、レントゲンを撮ればすぐに判明できるらしいです。

ただ、患者さんは咳が出るだけで、熱は出ないから、そんなに深刻には考えない人が多いらしい。

肺炎なので、感染も考えられるということで、その日から症状が治るまでは安静にするように言われて、仕事も休むことになりました。

抗生物質を処方されて、自宅で1週間安静にしていたら、無事に完治しました。

結局、花粉症からくるアレルギーでもなく、気管支炎や喘息でもなく、もっと重症な肺炎だったのです。それ以来、ちょっとした風邪の症状でも、体に異変を感じたら、すぐに病院で診察を受けるようにしています。

8月 25

見逃さないで!精神疾患患者のSOS

私は三年前から現在に至るまで精神疾患を患っています。

病名は適応障害から始まり統合失調症、境界性人格障害、躁鬱病、と症状が変わるごとに違う病名がつけられてきて、今現在でも自分が何の病気なのかハッキリわかっていません。

現在は少し落ち着いており、毎晩寝る前に睡眠薬を1粒だけ飲んでいます。

主な症状としては以下のような感じです。

対人関係がうまく図れない
薬がないと眠れない
少しでも怒られたり屈辱的なことを言われるとパニックを起こして泣き叫んでしまう など

その他にもたくさん症状がありますが、昔に比べたらだいぶ落ち着いてきたと自分では思っています。

精神疾患を患っている人の本音~話を聞いて欲しい~

二年前は希死観念が凄く強く、リストカットや大量服薬を繰り返し、救急で運ばれ生死をさまよったこともありました。その時はただただ未来が不安で、私は結婚することができないのではないか、孤独死するのではないか、働けないのではないか、親が死んだら私はどうすればいい、などずっと不安でした。

今考えたらそんなに焦らなくても大丈夫だったと思うのですが、当時はそのような余裕がなかったのでしょう。というか無かったです。

それとSNSで同じ病気で悩んでいる子たちと仲良くなり、自慢のようにリストカットの写真を見せたり、一緒に大量服薬をしたりしていました。ほんとに情けないですよね。

今もSNSをみると昔と変わらないやり取りがされているのをよく見ます。

SOS

私もそうでしたが、どこかに助けてほしいというメッセージが隠れているのだと思います。

1人じゃないよ大丈夫だよって言ってほしいのだと思います。

ですが、病院の先生方の中には、そういったメッセージは放っておけと言う人がいますよね。構ってほしいからそのような事を書くんだ。言ってくるんだ、って。

でも私は放って置くのでなく、だからと言って過剰に反応するのでもなく、いつも通りになにやってんのよ!と落ち着かせることが大事だと思いますし、できるのであれば電話もしくは会って話を聞いてあげてほしいです。

自分のことなんか誰も必要と思っていない!と思い込んでいる事が多いので、そんなことはないよと言ってあげて欲しいです。

今でも数多くの精神疾患をもった患者さんがいますが、程よい距離を持ち、見離さないで治るまで一緒にいてあげてほしいし、私も治るように少しずつ頑張りたいです。

8月 11

卵巣嚢腫が検査で判明!摘出手術を受けるために入院

診察を受ける女性

当時、私は自覚症状はなかったものの、普段から下腹部の左右差のある膨らみが気になっていました。ある日、カンジダ症になり婦人科を受診した際、ついでに内診及び超音波検査を受けることになりました。結果は、右の卵巣が10センチ大の良性の腫瘍で膨らんでいました

先生からは「その重みで卵管が捻れ、血流が遮断される危険性があるので手術を受けた方が良い。最悪、卵巣ごと摘出しなければなりません。」と言われました。

それを聞いた時に、おそらく開腹手術になるだろうからお腹に傷が残るだろうという予測、そして片方の卵巣だけで将来の妊娠に影響はないだろうかという不安とショックがありました。

卵巣嚢腫の摘出のために入院・手術

それから1ヶ月して手術を受けるために入院しました。執刀医からは開腹手術をします、と宣言されました。

手術前日は、傷1つない腹部を見るのはもうこれで最後だろうという思いから、トイレでこっそりと自分のお腹を携帯で撮影しました。

手術当日、覚悟は決まっており「腫瘍だけ除去してもらって両方の卵巣が温存できますように」と願いながらope室へ入室しました。

手術

硬膜外麻酔とマスク吸入後は数秒で意識を失いました。

手術が終了したら、先生から「腫瘍だけ取り除くことができましたよ。」と言われホッとしました。母親も面会に来てくれて心強かったです。

但し、全身麻酔下での手術だったので、直後は息が苦しく数時間は酸素マスクをし続けました。

この時、「楽に呼吸ができるというのは幸せなことなんだ、そしてこうやって手術を受けられ卵巣を温存できたのも奇跡なんだ」と全ての事柄に感謝したい心境になりました。

手術当日は終日ベット安静で尿道カテーテルが挿入されていました。この時、「自分の陰部を他者に見られていたんだな」と思うと恥ずかしい気持ちになりました。

病室

翌日からは担当の看護師さんから歩く練習をするように促されました。この時期が創部の痛みがMAXの状態であり、ベットで寝返りを打つのもやっと、そして病室からトイレへ行くにもかなり時間がかかりました。もちろん、排便は力まないといけないので創部に痛みが走ります。暫くは便意を我慢したものです。

この頃も「痛みがなく過ごせる日常がどれほど素晴らしいものか」という悟りの境地に達していました。まさに病から教訓を得るといった感じです。

日数が経過するごとに痛みも次第に軽減し、とうとう抜糸の日(初めて自分の傷口を見る機会)が来ました。

先生と看護師がペアとなって、創部を閉じるための医療用ホッチキスを1つずつ外していきます。この時もちくりと痛かったです。

初めて傷口を見たとき、複雑な気持ちになりましたが、これはもう仕方がないことだと割り切ることにしました。

今でも、その傷口はケロイド状になって痕が残っています。この痕を見る度に当時の記憶が蘇ります。また、当時、担当してくださった看護師さんが優しく素敵な方で入院中は心の支えになりました。

同時に「健康でいることの有り難さ」を痛感しました。この出来事がキッカケで社会人から専門学校へ通い、現在、看護師として働いています。

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