5月 18

急性腸炎で1日だけ入院

腹痛で苦しそうな女性

数ヶ月前の話しです。私はその日、午前中は体調が悪いというわけではなくむしろ調子が良く普通に仕事をしていたのですが、昼ご飯を食べて午後になったらお腹が痛くなってきました。あれおかしいなと思っていたら、下痢が止まらなくなりました。うえからも吐くことを繰り返し、仕事を早退。

普段からよっぽど体調が悪くならなければ、病院にいくことがない私は、あったかくして寝ていれば治るだろうと思い、市販薬を飲んでゆっくり寝ていました。しかし、体調が良くなることはなく、むしろどんどん悪くなっていきました。夜遅くになって、さらに我慢できないほどの腹痛に襲われ、主人に訴えて、救急病院に車で行ってもらいました。

熱は39度台だったため、まずはインフルエンザが疑われました。鼻のなかをぐりぐりされて、しばらく待っていたら陰性の結果が出ました。次は、CTの検査が行われました。最初に両手をあげてと言われ、両手あげるのしんどいわと思いながらもなんとか上げ、ドーム状の穴のなかをウイーンと動いていました。

急病の原因は急性腸炎

また、しばらく待っていると先生から話があると呼ばれ行くと「急性腸炎」という診断がでました。写真を見せられましたが、よく分かりませんでした。

解熱剤と痛み止めの点滴をうって、点滴が終わったら熱が平熱に下がったので、あとは薬を出しますので様子をみてくださいと言われ、会計を主人にお願いしていたら、再びお腹が我慢できないほど痛くなり、汗まで噴き出してきました。

病室

結局その日は入院することになりました。身体は幼いころから丈夫なほうで、この時が入院することが初めてだったのでとてもドキドキしました。4人部屋で小さな物音も気になる感じで、あまりよく眠ることはできませんでしたが、朝になったら病気だったのだろうかと思うほど元気になっていました。

1日だけの入院でしたが、大変な病気になったんだなと実感し、今後は自分の体調にもっと気をつかっていこうと考えた体験でした。

4月 28

他人事ではない「産後うつ」

産後うつ

10人に1人が産後うつになるって知っていましたか?まさか私がその1人になるとは思っていませんでした。しかも、精神科に通い、処方された薬を真面目に飲んで悪化させてしまったんです。

常に倦怠感があり、漠然と「死にたいな」と思ったことは少なくありません。包み隠さず言うと、無意識に2度も自殺未遂をした事もあります。

精神科の薬で身を滅ぼす!?

産後うつになって5年後、ある漢方薬局の先生と出会いました。先生曰く、

「自殺をしたくなるのは、薬を飲んでいるから。うつ病患者で自殺した人の100%がうつ病の薬を飲んでいる。」

と知らされました。それが本当かどうかは分かりません。しかし、私の体験と照らし合わせると、あながち間違っていないのでは、と感じました。

それから私は薬を飲む事をやめています。

私の主治医はやぶ医者だった・・・

医者の診断

その後、精神科の主治医に診てもらう機会があったのですが、薬を飲んでいない事に全く気付く気配がないのです。

実際の診察も

「寝れてますか?」
「何か変わった事はありましたか?」
「次の予約は?」

こんな感じで診察が終わります。時間にしてたった5分程度です。本当にやぶ医者だなと思いました。

個人的には薬に頼るべきではない思います

現在、様々な薬が開発されていますよね。抜群の効果を発揮する薬も多いです。しかし、こと精神病においては、薬に頼るべきではないと個人的には思います。

先の漢方の先生も「将来認知症のリスクが高まるのがうつ病の薬」だと言っていました。

もちろん、漢方の先生の言葉だけを信じるのではなく、私自身もたくさんの本を読んだりして、情報を集め、漢方から栄養(鉄サプリ、ナイアシン)食事などについて勉強しました。

女性は特に生理もあるので、出産による栄養不足(特に鉄不足)によってうつ状態になってしまうことは、科学的に証明されているようです。

何を信じ、何を選択するのかは本人や家族の自由です。でも、私の約7年のうち5年くらいは、本当に無駄な時間を過ごしたなと後悔しています。

残念ながら、悔やんでも時間は戻りません。今は薬なしで、規則正しい生活も出来、仕事や子育てもこなすようになりました。無駄なこと(=精神科に行き薬を飲むこと)をした人が後悔しているということを一人でも多くの人に知っていただき、一人でも無駄な時間を過ごさないように願っています。

4月 14

パワハラやいじめは心の病の原因になる恐れがある・・・

職場でパワハラ・いじめを受けている女性

私が病気になり始めたのは10年前でした。きっかけは、職場でのパワハラいじめです。男性ばかりの会社で女性は私一人しかいなかったので、職場で心の許せる友達も作ることが出来ませんでした。必死に食らいついて頑張っていましたが、結局いじめに耐えきれず辞めてしまいました。

パワハラ・いじめが怖くて・・・

当分は体を休めるつもりだったので、自宅でのんびりしていました。ただこのままではいけないと思い、次の仕事を探し始めました。

しかし、前の職場での出来事がフラッシュバックしてしまい、どの会社も楽しく働けるイメージを持つ事ができませんでした。終いには、面接でさえパワハラを受けているように感じはじめ、仕事を探す事自体が怖くなっていきました。

結局、仕事探しをあきらめ、そのまま自宅でこもっていたら、とうとう病気になってしまいました。負の連鎖です。

精神科でさらに症状が悪化

白黒の女性画像

はじめは親戚の家を利用しながら空気がきれいなところで休んでいました。しかし父の理解力もなかったし、父からも体罰されたりして私は余計に変になりました。頭がまいってしまったのでカウセリングだけでもいいので病院に行きました。カウセリングだけのところは何か月も待たないとやってくれないため精神科に行きました。

しかし精神科でさらに症状が悪化してしまいます。先生は優しく話を聞いてくれるものとばかり思っていたのですが、診察を受けた先生は突然怒ったり、叱ったりするのです。私はただ親身になって聞いてほしいだけだったので、とても辛い思いをしました。

何かしらの薬を処方されましたが、私が望んでいたのはただただ親身に話を聞いてくれる人なんです。カウンセリングを受ければよかったと、非常に後悔しています。

それから何年か後にようやく親身になってくれる友達が出来ました。側にいて、ただ話を聞いてくれるだけで本当に心の支えになります。病気はまだ完治していませんが、友人のおかげで少しずつ快方に向かっています。

3月 28

インフルエンザになって実感した親のありがたさ

子供を看病する親

私は子供の頃、よくインフルエンザに感染していました。2、3年に1回は必ず高熱を出し、その度に親が心配そうな顔で病院に駆け込んでいたのをよく覚えています。

それから時が経ち、県外の大学に進学した私は人生初の一人暮らしをスタート。全て自分で行わなければならない家事こそ面倒くさいものの、毎日が新鮮で、細かな事で親に怒られない生活はまさに最高でした。

一人暮らしのインフルエンザはツラい・・・

そんな一人暮らしで初めて経験する冬。いつも通り大学で講義を受けていると突然体中に異常な寒気が・・・。私は一瞬で状況を理解し、講義が終わると急いで家に帰り、体温計で熱を測りました。結果は38.2度の高熱。一人暮らし1年目にしてインフルエンザになってしまったのです。

病院の検査で陽性反応が出るのは発症後少し経ってからなので、それまでは1人で耐えるしかありません。

まず私は症状が軽いうちにすぐ近くの大型スーパーまで買い物に出かけました。健康体であれば自転車で5分程度なのですが、高熱で頭がフラフラするため自転車に乗るわけもいかず、途中何度も休憩しながら徒歩移動。15分ほどかかってようやく到着しました。

熱を測る女性

闘病に必要な物を購入し、なんとか買い物を終えて家に帰ると、頭痛と倦怠感から立っているのがやっとの状態に。熱も39度台になって身動きもできないので、寝ることが一番だと考えすぐに就寝することにしました。

翌朝目が覚めると症状はさらに悪化。恐ろしいほどの関節痛と倦怠感に加えて熱も40度近くまで上がっていたため、これ以上耐えるのは無理だと判断し、タクシーを呼んで近くの病院に直行。案の定、検査では陽性と判明しなかったのですが、医者が時期や症状などを考えてインフルエンザと独断で判断し、タミフルを処方してもらいました。

その後、この判断が功を奏したのか症状はなんとか抑えられ、5日ほどの静養で完全に回復することができました。

私はこの体験をして、一人暮らしのインフルエンザの怖さを実感するとともに、私の事を考え必死になって看病してくれていた親の姿が脳裏に浮かび上がりました。親のありがたさを再認識し、すぐにでも実家に帰省したくなったことを今でも覚えています。

3月 05

風邪だと勘違いしやすい!?命を落とす危険もある髄膜炎

病気になった子供

小学校2年生の頃、口内炎が突然口の中にたくさんできるようになりました。

普段からほとんど風邪もひかない健康体の私だったため、体調が悪いのかたまたま口内が荒れたのか、不思議に思っていました。

数ある口内炎の中でも、特に気になったのが下唇の裏側のど真ん中にできたやつ。サイズがとても大きく、痛みもひどかったからです。

体の真ん中は人間の急所であるため、父親も母親もなにか体の中からのSOSなのではないか、と思いすぐに小児科へつれていってくれました。

風邪と診断されたが症状が悪化

熱がまだそこまで出ているわけでもなく「風邪でしょう」と診断され、薬をもらい家で安静にしているように言われて家へ帰りました。

その夜中に熱がとてつもなく上がってしまい、40度いくかいかないかの高熱の状態で、吐き気が止まらず、食べたものはすぐに嘔吐していました。完全にただの風邪ではないな、と両親は大慌てで救急車を呼びました。

髄膜炎と判明

診断

緊急入院して診断した結果、髄膜炎ということでした。唇の口内炎から菌が侵入したのが原因だそうです。

とにかく熱が高く、私は当時意識がずっとありませんでした。両親の話によると、意識レベルが通常が100なら当時の私は30程度しかなく、かなり危ない状態だったそうです。

緊急入院した夜「もちこたえなければ危ない」と医師から言われ、両親は倒れそうになるほど焦ったと言っていました。

病院のスタッフの方たちの懸命な治療と両親の眠らずの看病のおかげで何とか山を越え、熱は少し下がり意識がもどったそうです。

しばらくは入院生活が続き、何より一番痛くて記憶にあるのが、脊髄への注射でした。

まだ幼かった私は注射の時間が何よりも地獄で、泣いてもどうしようもないとわかっているのに、ただひたすらに大泣きして両親の心を痛めていたそうです。

髄膜炎の怖いところは、症状が激しくでるまで一般的な風邪のようで、見た目にもあまり変化がないので、病院でも診断を誤ることがあります。

当時は両親の咄嗟の判断で、救急車を呼んだことが私の命をとりとめたポイントだったと思います。とにかく異常を感じた場合は、素早い判断が大切です。

2月 13

今までで一番つらかった「感染性の胃腸炎」

今までかかった病気のことでよく思い出すのは、8年前のお正月にかかった感染性の胃腸炎です。

8年前の1月2日。遠くに住む幼馴染2人と一緒に、久しぶりの再開を喜びながら飲み会を開いていました。1軒目は居酒屋さん、2軒目はバー、と順調に酔っ払い、帰宅。

その夜に腹痛は突然やってきた

お腹の激痛

その日の夜中のことでした。「なんかお腹が痛いなー」と目が覚めて、トイレに立ちました。お酒を飲むとよくお腹を壊しませんか?私もそういう体質なので「それかな、今日はたくさん飲んだしなー」と思いながら用を済ませて、もう一度就寝しました。

しかし、またお腹が痛み出します。「うーん、今日は特に調子が悪いなぁ」と、まだ楽観視していました。

でも、明け方になっても腹下しが治らず、嘔吐までした時点でようやくこれはおかしいと思いました。当時はまだ実家で両親と一緒に住んでいたので、両親を起こして「なんかおかしい、昨日の夜中からずっとお腹を下していて、さっき吐いた」と伝えました。

病院で診察を受け「胃腸炎」と判明

救急病院に駆け込むほどではない、という判断で、お正月もやっている年末年始の当番医のところへ。もちろん混んでいて、救急に駆け込むほどではなかったものの、その頃にはもうヘロヘロだったわたしは成人して初めて母の膝枕で、しかも待合室なので人前で寝ながら順番を待ちました。体裁なんて考えることができないほどつらかったのです。

点滴

やっと受診の順番が来て、症状を伝えると「胃腸炎ですね。とりあえず点滴をしましょう。」ということになりました。人生初の点滴です。腕は冷たいし、狭いベッドに同じ体勢で長時間寝ているのが本当につらくて、4分の3くらいのところで外してもらいました。そのあとは薬をもらって自宅療養でした。

この時点でも充分つらかったのですが、とにかく上からも下からも出るわ出るわ、本当にどうしようもないくらいきつくて、脱水でふらふらになって死ぬんじゃないかと思いました。それでも少しずつ良くなり、3日後にやっとまとまって食事ができるようになりました。

後日、一緒に飲んでいた幼馴染の1人も同じ症状になっていたことが分かり、2人で二度とかかりたくないね、と話しました。

1月 29

鼻茸の手術で入院した夏休み

私が鼻茸という病気で入院したのは中学2年生の時の夏休みでした。小学6年生の春に鼻水が止まらなくなり、花粉症にでもなったのかと思っていました。

鼻詰まりが酷くなり、夜も寝ている時には大きないびきをかいていると親に言われました。それでもなかなか病院に行く気になれずに放っておきましたが、友人がたまたま耳鼻科に行くというので一緒に行くことにしました。

耳鼻科で診てもらうと、すぐに紹介状を書くから大きな病院に行ってくださいと言われ、総合病院に行くと手術をしないと取れないから夏休みに1週間入院してほしいと言われました。

鼻茸で入院&手術

成人男性の鼻

鼻茸というのは鼻の奥の空洞にできるポリープのことで、形がきのこのようになっていることから鼻茸と呼ばれているそうです。

小さいものなら鼻の穴から簡単にとることができるようですが、私の場合は放置し過ぎていたため大きく成長してしまったものと、小さいものが多数出来てしまっていたため入院が必要とのことでした。

大きいと言っても鼻の穴から取り出せる大きさだったので局部麻酔で簡単に取れると言われましたが、初めてのことなのでとても私は緊張していました。

入院した次の日に手術でしたが、検査で鼻の中に綿をこれでもかというほど入れられて鼻の形が変わってしまうほどでした。同室の人もドン引きするくらいの顔になってしまい、仲良くなれる気もせず私はとても寂しいと思っていました。

手術室に入り手術台に乗せられ、目隠しはされましたが局部麻酔のため意識はちゃんとしていますし、音や先生たちの声も聞こえます。ハッキリ言って恐怖しかなかったです。鼻に麻酔をされているのはわかっていたのですが、鼻の中でゴリゴリと取っている音がし、それが痛く聞こえて「痛い」と何回も言ってしまいました。

その都度、先生は私の鼻の中に麻酔をかけていたのだと思います。

手術中にそのまま眠ってしまい、起きた時はもう夜になっていました。

病気は早期発見がやっぱり大事

ベッドから降りてトイレに行き、そしてまた眠りにつきましたが夜中にとにかく吐き気を催してしまい体が動きませんでした。

ナースコール

ベッドの横にあるインターホンで看護師さんに連絡をするのがやっとでしたが「どうしました?」とインターホン越しに声をかけられたところで声を出したら吐いてしまいそうで何も言えずにいました。

何回も押して「どうしました?」と聞かれ、声を出せずそのまま・・・という状態を何度も繰り返し、時間はどれだけ経ったかはわかりませんが看護師さんが来てくれないため自分で洗面所まで行こうと体を起こしたとたんに嘔吐してしまいました。

嘔吐してしまったため、またインターホンを押し「どうしました?」との声にやっとで声にもならないような「うぉ、うぉ」という言葉を出しました。

それからしばらく看護師さんは来てくれなかったと思います。もしかしたら私が長時間に感じただけかもしれませんが、やっとで来てくれた看護師さんは「あぁ」とだけ言って手早くシーツを取り換えてくれました。吐きたかったら全部出してしまえと言われ、そのまま意識がなくなるまで吐きました。

初めての麻酔で痛くもないのに痛いと言ってしまったことで麻酔が強くかかってしまい、余計に気持ち悪くなってしまったのだと思います。局部麻酔も良いようで悪いようなイメージは何年たってもぬぐい切れません。

たったの1週間ではありましたが、病院の食事もおいしくないし、散々な思いしか無くて、それからは少しでも具合が悪いとすぐに病院に行くようにしています。どんな病気でも早めに処置をすれば苦しい思いはあまりせずに済むのではないかと思っています。

1月 19

仕事のストレスと不規則な生活が影響し大腸癌に・・・

毎日、仕事で忙しくしていた僕は、家に帰るのも遅く不規則な生活をしていました。そのせいかストレスも多く感じていて、顔色は悪く、腹痛にもたびたび襲われていました。ただゆっくり心と体を休めれば治ると思って「そのうちタイミングが合えば休もう」と放置していました。

血便が・・・

お腹の激痛

そんなある日、仕事中にいつもとは違う腹痛に見舞われ、立ってる事もできず、トイレから出られない時がありました。その時は気にもせず自宅に帰り排便すると激しい鮮血の便が出ました。さすがにただ事ではないと思い後日、胃腸外科で精密検査を受ける事になりました。

病気など今まであまりした事がなかったので、悪い方には考えず軽い気持ちで受けたのです。ところが予定の検査が終わっても、さらに詳しく調べないといけないとの説明があり、検査入院をする事になりました。

今思えばこの時点でもう答えは出ていたのです。検査を終えて先生からの説明があると言われ部屋へ入ると、そこには先生の他に看護師が3人立っていました。ただ事ではないとすぐに気がつくと震えが止まりませんでした。

診断結果は大腸癌

医者の診断

先生の口から末期手前の大腸癌だと宣告されました。すると以外と冷静に話しを聞けてこの先どのような治療をするのかの説明を受けました。専門の大きな病院を紹介されそこに移る事になるのですが、患者さんの数が多くすぐに手術する事が出来ませんでした。

結局1ヶ月間、手術待ちで入院しました。その間は腸がつまるといけないので食事はできず点滴と流動食のみでした。その期間が今思えば一番辛かったように思います。

手術内容は腹腔鏡手術で行いました。手術後の一週間は傷口の痛みがひどくて夜も寝れない日が続きました。日に日に体調は良くなり、食事も固形物が食べれるようになり生きる喜びといっしょに噛みしめていました。退院する日も近づいてくると、この先の人生をどう生きていくかなどよく考えて過ごす日が増えました。

手術から5年が経ち「先生からはとりあえず完治ですね。」と言われ今はホッとしています。

12月 26

痔瘻(じろう)で手術&入院

5年前の42歳の時「痔瘻(じろう)」になりました。

突然の便秘

ある日突然、便秘になり、便が出なくなりました。ヨーグルトを食べたり、食物繊維の物を食べても、まったく出ません。それまで私は便秘になどなったことがなかったので、おかしいと思いながらも、病院に行くことなく改善を待ちました。

しかし、ある頃から高熱が治まらなくなり、尻も痛くなってきて、病院に転がり込みました。

医者の診断

医師に診てもらいましたが、原因が分からず、浣腸をしましたが、お腹の膨満感はとれず、便も出ません。

最初に診てくれた人とは違う別の医師が、肛門の上のしこりのようなものを見つけ、「これが原因かな」とそこをメスで切除したところ、大量の膿がでました。そして、それ以降、溜まっていた便も出て、熱も治まりました。

しかし、その後も、切除部分からは膿が出続け、何日たっても治まりません。医師は「そのうちに治ると思います」と言うだけ。結局、3週間たっても治りませんでした。

診断は痔瘻

私はしびれを切らして、肛門の権威である病院に行って診てもらったところ、触診した医師は「痔瘻です。手術しましょう」と言いました。

最初の病院に通ったあの3週間は、いったい何だったんだろうと思いました。やはり、病院選びは大事だとつくづく思いましたが、とりあえず原因が分かってホッとしました。

手術

医師によれば、肛門近くの窪みに菌がたまって化膿し、それが膿となって肥大し、便の通り道を圧迫していたとのこと。その化膿した部分を切除する手術になるとのことでした。

私はもともと過敏性腸症候群気味で、よく下痢をし、頻便でもあったため、電車に乗る前や、会議の前などに何度もトイレに行って気張っていたのですが、その際に肛門の窪みに菌が入り込み、仕事が多忙ななか、免疫力が低下していたことも相まって、化膿し、痔瘻になったのではないかと思いました。

手術は30分程度と聞いていましたが、括約筋の近くを切る難手術になったようで1時間半以上もかかってしまいました。

初めての入院生活を5日間ほどしました。なかなか快適で、体を休めることもできたかなと思いました。また、それまでの不摂生をあらためて、健康的な生活を維持しようと決意するきっかけにもなったと思います。

12月 13

蕁麻疹は突然に!四苦八苦した2週間の思い出

普段あまり病気にならない頑丈な体の私。社会人8年目の年度末、急に会社を退職した社員のタスクがどっとこちらに回ってきて、新しい人を雇うまでの1か月激務で終電近くまで残業、からのあまり眠らないまま早朝出勤の日々が続きました。

睡眠不足でも風邪なども引くことはなく何とか乗り切れそう・・・と思った矢先に悲劇は起こりました。

背中に感じるチクチクとした痛み

蕁麻疹

ある夜、なんだか最近寝てる時に背中がチクチク痛いんだよね・・・と思いながら脱衣所で背中を見てみたところ、背中の一部にぶわっと蚊に刺されたように赤く膨らんだ箇所が。その時はまだ広範囲ではなかったので、痒みを止める「ユースキン」という市販薬を患部に塗って「まあ、明日には消えてるだろう」と楽観的に考えてその晩は寝てしまいました。

翌朝、睡眠不足で眠い目をこすりつつ着替え中に背中をまた見てみたところ、なんと蕁麻疹が背中の広範囲や腕にまで広がっていたのです。今まで皮膚のトラブルはなく、初見の自分でも「これは何かおかしいぞ」とはっきりと自覚でき、その日は半休を取る連絡をして皮膚科の病院に向かいました。

診断は蕁麻疹

「これは蕁麻疹だね。心因的なものが原因じゃないかと思うけど、最近ストレス溜まる事なかった?」

お医者さんの診断で、これが蕁麻疹の症状なのだと初めて知りました。お薬を処方してもらい、数日患部に塗っていた所、痛みや痒みが収まり、赤い斑点も少しずつ消えていきました。

お医者さん曰くアレルギー反応なので市販で販売している薬だと、アレグラ辺りがあると薬が切れている状態でも代用物として使えるとの事で、処方していた薬が無くなった時はつなぎで大変お世話になりました。

なんだかんだで完治するまで2週間以上かかりましたが、夜眠れないぐらいの痒みと痛みだったので朝晩しっかり習慣のように薬を塗りました。ズボラな私ですがこの時は几帳面にお医者さんのいう事を守っていました。

蕁麻疹がまた再発しないよう、特に免疫力が落ちそうな時期は帰宅が遅くなったら夜更かしせずしっかり眠って疲労回復にあてるようにしています。

11月 22

子供への感染予防作戦!部屋にはおばけ(インフルエンザになった父)がいる

私は小学低学年と幼稚園の小さい子供2人を持つ父親です。去年の年末、会社から帰宅中に高熱を発症し、次の日に病院で検査を受けると「インフルエンザ」と診断されました。

大人でも耐えられないしんどさのインフルエンザに子供がなってしまうと大変です。そこで、嫁さんと相談し、病人の僕は子供部屋の一室に引きこもり、子供が入れないようにしました。

家族感染予防!作戦名「部屋にはおばけがいる」

おばけ

その時にとった作戦が「子供の部屋にはおばけがいる」です。とりあえず、部屋のドアも開けてほしくなかったので、ドアを触ったらおばけは気がつくから出てきてしまうと伝えてもらいました。

その結果、僕のインフルエンザが完治するまでの5日間、一切子供は部屋に入ろうとしませんでした。小学3年生の姉に聞いても、普通に信じていたようです。

5日目に、嫁さんが「ついにおばけを解放する時が来ました」というと「キャー」と言いながら逃げて行ったのです。普段は落ち着いて、しっかりしていると言われているのですが、声を聞くだけでも信じていたことがわかりました。慌てて逃げまわってました。

不精髭に顎鬚で顔の輪郭がわからない僕が出てくると、その姿を見て「キャー」と。えっ?お父さんだけど!と言いたかったのですが、おもしろかったので、白目にして脅かしてみました。

泣いている子供

期待通りというか期待以上で、下の子供は泣き出してしまいました。さすがにかわいそうになったので、お父さんだよというと、まずは頭にクエスチョンが見えました。そのあと、かなり怒られました。

子供の部屋に入り、最初に言った言葉が、「くさい」でした。確かに5日間お風呂に入ってないけど、窓はあけて風の出入りはさせてたはずなのに・・・。脅かした分のお返しか、ずっと加齢臭くさいと言われています。

今度また同じように子供と接触できないような病気になった時には「どんな作戦をしてやろうか」と夫婦で今回の話もしながら笑い合いながら考えています。そんな病気にはなりたくありませんけどね。

11月 09

アトピーに悩まされる日々

体をかく男性

私は重度のアトピーです。幼い頃から皮膚が弱く、耳の下が切れたり、関節部分が荒れたりと、身体全体が酷くボロボロになっています。当然ながら、皮膚科に行くとアトピーと診断されました。

私のアトピーはかなり強いアトピーのようで、毎年決まった時期になると症状がひどくなります。その度に皮膚科に行き毎回同じ薬をもらう生活をずっと続けてきました。

放置しているとますます酷くなるアトピー

中学生の頃になると、お尻などにも症状が現れ始め、丁度思春期なのでお尻を皮膚科で見てもらうのは恥ずかしく放っておいたら、益々症状が酷くなり気が付いたら猿のように真っ赤に染まったお尻になっていました。

これはさすがに大変だと思い病院に行き診てもらいましたが、ずっと放置していたため、赤身が中々取れず、現在も少し色づいている状態です。あの時もっと早く病院にいってちゃんとした対応を取っておけば・・・と後悔しています。

その頃の私は寝ている時に無意識によく体全体を掻きむしっていたみたいで、皮膚が荒れてしまったようなんです。掻く音がうるさく何度も両親から注意されましたが、何せ寝てる時に無意識に行っているので対策のしようがない状況でした。

完全に掻く癖が付いておりどうしようもなかったです。それに皮膚科に行くのも面倒になり放置した結果、赤身がかった皮膚になりました。もう完全に治ることは無いと思っています。

諦めずに薬を塗り続ける事が大事

アトピーの塗り薬

アトピーという病気は、真剣に向き合って定期的に皮膚科に行き薬をもらう事が大事だと思います。もちろん、薬を貰っても使わないと意味がありません。

私は面倒な事が嫌いなので1日2回の塗り薬を続けてきませんでした。本当に皮膚が痛くて眠れない時だけ薬を塗り症状を落ち着かせる、といった感じです。

しかしそんな私も今は毎日欠かさず塗っています。面倒で塗らずに症状が悪化し、また皮膚科に行く事になるとお金ももったいないし、何より自分の身体に悪いです。皮膚だからといって馬鹿にできません。皮膚が荒れそこから色んな黴菌が侵入してくると今度は身体全体を蝕んでいきます。こうならないようアトピーという症状と戦いながら毎日薬をしっかり塗り続ける事が大事だと思っています。

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