5月 17

下腹部に激しい痛み!虫垂炎になり緊急入院

当時私は高校生でした。その日は朝からお腹の中心あたりが痛かったんです。もともと、私はお腹が弱く、時間が経てば治ると思っていました。

お昼を過ぎても痛みは引かず、仕方なく保健室で休むことにしました。夕方になり、痛みは引くどころかますます痛くなり、また痛みの場所が下腹部へと移っていきました。

さすがに、まずいと感じ病院へと運んでもらいました。病院に着いた頃には自分で立つこともできない程痛く、車いすを用意してもらいました。

腹痛でお腹を押さえる男性

5時を過ぎていたので、救急外来しかやっておらずそこで受診。しかし、その病院は市でもかなり大きな病院のため、1時間ほど待つ事に・・・。待っている際は、座っていることもできず、待合室のベットを貸り、横になっていました。

名前が呼ばれ、まず血圧、触診、問診を行い、超音波をとるとのことで移動。超音波をしている最中に激しい腹痛が嘘のように消えていき、超音波が終わるころには、自分で歩けるほどになっていました。

しかし、診察室へ戻ると「虫垂炎です」と医師から告げられ、「薬で散らすか、手術をするかです」と選択を余儀なくされました。なんで、今痛みが無いのに?と疑問に思いましたが、私の出した答えは【手術】でした。

手術

すぐに、手術着に着替え、点滴を入れ、手術室へ。その間1時間ほどでした。部分麻酔で行うとのことで、背中に麻酔薬をさしました。今まで生きてきて、味わったことのないほどの痛みが背中に走りました。今思うと、あの麻酔が一番痛かったです。

その後段々と、お腹の感覚がなくなり手術が開始されました。手術中はとても気持ち悪く、何度も吐きそうになりました。また、手術時間が40分程でしたが、20分程経ったところで耐えられなくなり、少し暴れてしまいました。

するとすかさず、全身麻酔に変更。マスクから麻酔薬を吸うと、すぐに眠気が襲ってきました。そう感じたころには、もう手術が終わっており、看護婦さんに起こされたところでした。

超音波の途中で痛みが消えたのは、重症化しマヒしていたからだそうです。痛みが消えても安心してはいけませんね。虫垂炎恐るべし!

4月 28

胃腸炎でお腹を壊して散々だった話

腹痛でお腹を押さえる男性

昔、私はウイルス性の胃腸炎にかかったことがあります。本当にお腹が痛くて、中学生にもなって「お腹が痛い!!」と泣き叫ぶほどの苦しみでした。

近所の内科に行くと、時期のせいか、インフルエンザや風邪、私と同じ胃腸炎になった人でごった返していました。

待ち時間は2時間。その間になんと3回も吐いてしまい、お腹の中は空っぽに。3回目は胃液しか出てきませんでした。吐くものが無くなると、とんでもないものがでてくるんだと朦朧とする意識のなかで思いました。

2時間も待たされ、「もしかしたら私は忘れられているのでは?」と心配になり、母に泣きながら、「本当に苦しいから早く見てもらいたい」と無理難題を押し付けていました。

胃腸炎の苦しみと比べたら注射なんかこわくない

注射

順番が来て、医者の前に来たときには、泣きじゃくる元気もなく、ただ「ううぅ・・・」と呻くだけになっていました。診察をしたお医者さんは「薬を飲んでも吐いちゃって出しちゃうから、注射しよう」と提案してきました。

私は昔から、注射が大の苦手でした。学校などで行われる予防接種にも、学年の中で私だけが泣き叫んで周りからバカにされてしまうほどの苦手っぷり。

しかし、このときの私は抵抗する気力もなく、そのまま肩あたりに痛みを伴う注射をされました。

このときの注射だけは泣かずに受けることができました。注射の痛みなんかより、お腹のほうが辛かったからです。

そして帰宅。

家に帰っても、注射の薬はまだ効き目が出ず、痛みは良くならないままでした。2階にあった自室ではなく、1階の洋間に寝かされていたのですが、洋間に敷かれた布団の上で「うわあああん!!」と泣きまくること2時間。

そして力尽きて寝る・・・痛みで起きる・・・暴れる・・・力尽きて寝る・・・。

一晩中その繰り返しで体はぼろぼろになってしまいました。

インフルエンザにもかかり40度近い熱を出したこともありましたが、胃腸炎にかかったときの方が辛かったです。

病気になんて、やはりなるもんじゃないなぁと心の底から思ったエピソードでした。

4月 20

ピクニックがまさかの惨劇に・・・緑色の○○にはご用心!

あれは忘れもしない、とある休日の出来事でした。まさか○○に触れたことによって、顔が大きくはれ上がってしまうとは・・・。

我が家には3歳になる男の子がいるんですが、じっとしている事が出来ない活発な男の子なんです。平日、我が子の面倒をみて一緒に過ごしているだけでヘトヘトに。

家族でピクニックへ

お弁当を食べてピクニックを楽しむ家族

そんな私を見ていた旦那が気を遣ってくれて「今日は天気も良いから国営の大きな公園にピクニックに行こう!!」ということで、気晴らしに家族で出かける事になりました。

お弁当やお茶、レジャーシート・・・準備は大変だけど、ピクニックとなると心が躍るのが不思議です。

実は、旦那はこのピクニックだけでなく、普段から休日には子供を色んな所に連れて出掛けてくれます。内心は家でまったりとしたいはずなんですが・・・。

そのため、息子は、パパのことが大好き!「パパが家にいる=どこかに遊びに連れて行ってくれる」ものだと思っているからです。ただ、連れていってもらえないとなると大暴れ・・・。

そんな暴れん坊の我が子を、その日はピクニックに出かけて放牧するのでした(笑)。

息子に異常事態発生!!

いつもなら公園に到着するやいなや走り回る子なのですが、この日はなにやら見つけたようで、ずーっと手になにかを握りしめていました。

時折「かわいいねー、かわいいねー」と声をかけてはニマニマ。

いったい何に声をかけてるのかと首を傾げつつ、園内を歩いていたところ、息子が突然発狂!!

何が起こったのかと息子の顔を覗き込んでみると、目も口もはれ上がってすごいことに・・・。

「なんでこんなことに?何か触ったの??」とたずねると、息子の小さな手に握りしめられていたものは

カエル!!

葉の上に載っているカエル

カエルの粘液がついた手で顔全体に触れてしまい、はれ上がってしまったのです。これには驚いてしまい、園のスタッフに相談し、近くにある休日診療をしている病院へ行くことに。

病院の先生からも「かえるの粘液に負けてしまったんだねー」とのこと。飲み薬と軟膏と目薬を処方してもらい、服用したことで一気に腫れは消えてなくなりました。

あれ以来、息子はカエルに触れることは無くなってしまいました。私たち夫婦もあれ以来、カエルには敏感に反応するように。カエル・・・恐るべし!!

2月 22

顔面麻痺になって1か月ほど毎日通院しました

夏が過ぎてちょうど涼しくなってきた時に、多忙だった仕事がひと段落し、気が緩んだ矢先、右側の顔に違和感を感じるようになりました。

気付いたのがちょうど昼休みの時で、歯磨きをしようとトイレの洗面台に立って口をゆすごうとした時に、ピューっと水が口からこぼれました。歯にすきまが開いているのかなとその時は思ったのですが、少しずつ右側の表情を作るのが難しくなっていました。

さらに、ペットボトルの水が口を付けて飲めなくなっていました。唇も力が入らなくなっており、鏡を見ると左側に唇が歪んでいました。

「これは一大事だ」と感じ、総合病院の救急外来へ駆け込みました。

診断

ちょうどその日は日曜だったため、「正確な判断が出来ない」という事で翌日の月曜に再度来院する事になりました。

何科に診てもらえばいいのか分からずでしたが、耳鼻科で診察を受けてくださいとの事で、診察を受けたところ、顔面麻痺という診断が下りました。医者によると、原因は「ストレス」か「寒い風に当たり過ぎた」かのどちらからしいです。

治療に入るために4週間の入院か通院が必要と言われました。その際にステロイド点滴を受ける事になるとも言われました。

その時心の準備が出来ておらず、頭は真っ白の状態でしたが、とりあえず会社の人事に連絡を入れました。「しっかり休養してください」との事で1か月休職扱いにしてもらいました。

問題は入院するか通院するかの二択ですが、料理が出来ない主人のことを思うと入院は出来ないと判断し、通院をすることを選びました。

ステロイド点滴

通院は毎日マスクをして他人に麻痺を見られないようにしました。4週間の通院は本当に辛く、まず診察を受けてから点滴を1時間打ちます。最初は良かったのですが、後から顔中に吹き出物が出て、とても痒かったですね。

また毎日点滴を打つため私の腕はポツポツと注射の痕だらけになっており、新人さんが血管に入らずに何度も抜き差しをした痕もくっきりと残ってしまい、人前では半袖になれないほどでした。

さてキチンと治療に専念した結果、現在は100%回復し、マスクなしで人前に出られるようになりました。1か月後には仕事に復帰しましたが、短時間勤務にして少し身体の負担を減らしてもらいました。

しばらくリハビリの時間を取って身体の調子を整えていきたいと思っています。

2月 12

30代で白内障を治療したときのお話

30代中盤の男性です。アトピー性皮膚炎が有り、眼科から「アトピー性の白内障を発症している、いつか手術が必要となる」と診断されたのが20代中盤辺りです。

白内障の症状

白内障

目は徐々に見えなくなり、診断を受けてから8年が経過した頃に手術を受けました。

眼鏡を掛けていても白い靄(もや)が掛かって、近づかないと物を見る事が出来ません。また、日光に非常に弱く、日光の下を歩くと目が痛いくらいでした。

手術に踏み切ったきっかけは、自動車免許の更新の際に受ける視力検査です。当然、落とされました。

白内障の手術

手術を受けたのは両目です。まずは右目から。朝早くに病院に行き、手術の待合室で手術着に着替えて、何回か目薬を打ちます。患者はおばあちゃんばかりでした。30代でアトピーで白内障というのもけっこう珍しいケースなんですね。

ちなみに、この白内障、70歳以上の人だとほぼ全員発症するそうです。

手術

車いすで手術室に運ばれ、麻酔の目薬を打たれて、手術台で手術開始。目玉を器具でぐりぐり回される感覚はありますが、痛みは全くありません。高周波の機器を使って濁った水晶体を砕いて取り除き、代わりに人工レンズを入れるそうですが、具体的にどうやって入れているのか感覚的にはわかりませんでした。

視力は半日もすると回復しはじめ、眼鏡なしでもかなり見えるように!次の週に、同じように左目をやりました。手術の前は裸眼ではほとんどものが見えなかったのですが、手術後は新しいレンズのおかげで、眼鏡なしでもパソコン作業などができます。時々、出掛けるときに眼鏡を忘れることすらあります。

ただ代償として、細かい指先にピントが合わず見づらくなってしまいました。スマホを見る時などは、眼鏡をいったん上にずらしてみています。眼鏡を操作する動きが、まるで「装甲騎兵ボトムズ」のロボットがかしゃかしゃとレンズを動かす仕草みたいで、自分の中では気に入ってたりします(笑)。

白内障についてはネットでも情報がたくさん載っているので、気になった方は将来への備えとしても、ぜひ一度見ておかれるとよいかと思います。

1月 27

急性腎盂炎で入院!初期症状は風邪と似ているので注意!

発熱

もう20年くらい前の話ですが、急性腎盂炎になり入院した事があります。

始めは風邪みたいな症状で微熱が続き病院に行ったのですが、「インフルエンザかも?」という曖昧な診断でタミフルが出されました。しかし、薬を飲んでも一向に良くならず、熱も40度くらいまで上がったので違う病院に行きました。

そこで血液検査をされ「もしかしたら腎臓かもしれないから泌尿器科に行ってください」と言われ、紹介状を出していただき泌尿器科へ行きました。すでに具合が悪くなってから1週間以上経過していたので、心身共にかなり辛かったです。

泌尿器科に行ってもまた採血をされ、結果が出るまで仮ベッドで休んでいました。看護師さんに様態を聞かれても答えるのも苦しくて、うなづいていただけだったのを覚えています。

急性腎盂炎と結果が出たら即入院と言われました。確かに具合が悪く動けなかったので仕方がないのですが、何も用意していなかったので両親に頼んで全て用意してもらいました。

10日ほどの入院生活

病室

入院生活は10日程。ずっと点滴を外せず、絶対安静と言われていたのでベッドから動くことも出来ませんでした。トイレはというと・・・例のチューブです。

何よりも辛かったのが、お見舞いに来てくれた子供が帰り際に泣きついてくる事です。説得して帰すのが大変でした。

落ち着いてきてからは1日に2回の点滴になり少しは動けるようになりました。しかし、食欲はあまりなく微熱も続いていたのでほとんど寝ていました。

2週間程で「自宅に帰ってもいい」と許可が下りたのですが、その時でも微熱はありました。

「家に帰ってからもしばらくは安静にしていて下さい」と言われても、何もせず入院をしてしまったので帰ってから何もしない訳にもいかず、一番に部屋の片付けをしたような気がします。

小さい頃にも入院した事はあるのですが、やはり子供がいれば自分の事だけではないのでかなりかわいそうな思いをさせたなと思います。

1月 11

子供が風邪をこじらせて肺炎に

私は2人の子供の母親です。今回お話しするのは、下の子が生まれて10か月、上の子は幼稚園の年少の時の話です。秋からもうすぐ冬になる頃でした。

風邪をひいた子供

上の子が風邪をひき、熱を出し病院へ連れて行きました。いつもは風邪をひいても1日から2日で熱が下がり、ケロッとする子ですが、その時は熱が下がってもまた次の日には発熱し、連日2人を連れて病院へ通っていました。

風邪をこじらせて肺炎に

インフルエンザや溶連菌感染症などの検査を受けても陽性反応は出ず、風邪をこじらせてしまったのだと思っていました。それが3日目の午前の診療が終わる頃です。家で休んでいたのが咳がひどくなり熱も40度出したのです。慌てて病院へ電話をして診察時間ぎりぎりで駆け込みました。

熱も高く咳もひどいということで初めて肺のレントゲンを撮ってもらいました。するとうっすらとですが肺炎の症状が見えると言われたのです。対応ができないということで近くにある市民病院へ行くように言われ、救急車で運ばれることになったのです。

頭の中はパニックでした。

下の子を連れてどうしたらいいのかと思っていた私にベテランの看護師さんが「付き添っていくからお母さんは車で慌てずについてきてね。」と言ってくださいました。すごく心強かったのを今でも覚えています。

病院へ着き、現状もすべて看護師さんが伝えて下さり、説明される言葉に耳を傾け理解することに必死でした。その日は点滴を受け、薬をもらい帰宅していいと言われました。何かあればもう一度来るようにと言われて。

結局入院する事に

病室

次の日も熱は高く息も苦しそうだったので、再度診察に行きました。市民病院なので前日とは診察医が別の先生でした。昨日の結果と当日の結果を見て連れて帰ったことをすごく叱られました。入院するべきだったと。

その日は即入院しないといけないと言われ、そのまま子供は入院、親も付き添うようにとのことでした。仕事中の主人に連絡を取り、実家の母にも連絡を取り下の子供の世話を頼み私が付き添いました。

点滴と投薬で3日ほどの入院でしたが、私も途中ストレスで体調を崩し大変な思いをした思い出です。もう二度とこんなことはないようにと願いました。

12月 28

幼少期に発症した「全身性ジストニア」

私は短期大学1年の時に先天性の「全身性ジストニア」と診断されました。ただそれまでは「顔面堅甲上腕型筋ジストロフィー」と診断を受けていました。誤診というやつですね。

保育園の時に筋ジストロフィーと誤診

発症したのが保育園の時です。「前に習え」が不自然だったため、とりあえず明石市立中央病院で受診しました。しかし、原因が分からず症状もそれほど生活に支障がなかったので放っておいたのです。

そして、小学校3年生の時、症状が再び現れ始めました。前に受診した病院に行きましたが、やはり原因は分からずじまい。症状が前よりひどかったので、放っておくわけにもいかず、別の神戸大学付属病院に紹介してもらう事にしました。

医者の診断

そこで色々な検査をして「筋ジストロフィー」かもと診断されました。あくまで「かも」という診断なので、その後検査入院して筋精研を行いました。その結果、細胞間の隙間が著しく多い事が分かりました。神戸大学医学部付属病院の見解は「顔面堅甲上腕型筋ジストロフィー」。筋力の低下が起こり最終的には死に至る難病です。
 
その時、親もいて凄く泣いていました。

その後、病状はだんだん悪化していきましたが、中学・高校そして大学に進学する事が出来ました。ただ字を書く作業もままならなかったので、勉強・受験はかなりきつかった事を覚えています。

さて誤診だと分かったのは大学1年の夏休みでした。神戸大学医学部付属病院に検査入院して、その時に「ジストニア」と診断を受けました。

手術を受けてジストニアの症状が改善

次に紹介された神鋼病院では、徳島大学病院から来られている神経内科の先生に診察してもらいました。その後徳島大学病院に行って、脳神経外科の先生にも診てもらい「手術が出来る。また手術をすれば身体機能が大分改善する可能性がある」と言われました。

「手術の後遺症で構音障害が出てくるかも」と言われましたが、少しでも体が楽になればと思い、手術をする決心しました。残念ながら後遺症によってしゃべりにくくなってしまいましたが、体感が良くなりすごく楽になりました。

12月 09

切迫早産で入院した時の話

私がかかった病名は『切迫早産』です。簡単に説明しますと、妊娠22週~37週までに生まれそうになる事を切迫早産、それより以前のものは『切迫流産』と言われます。早産の一歩手前といった感じですね。

何かいつもとお腹の張りが違う

妊婦

私は初めての妊娠で当時妊娠27週でした。お腹の違和感に気付いたきっかけはなんと「下痢」。お腹壊した時、一度下してしまうとそれで一旦お腹の痛みって治りますよね。しかし、今回は変。何か変!だったのです。

初めての妊娠ということもあり、不安でたまらなくなった私は旦那に車を出してもらいかかりつけの産婦人科に駆け込みました。時間は21時頃だったと思います。

病院には宿直の大学病院から来てる非常勤の先生しかおらず、またその先生が診察も投げやりだし内診も乱暴だしで非常に不快な思いをしました。こっちはお腹の子どもに何かあったら心配だから来てるのに…。内診でも特に異常は見られませんでした。

少し話は逸れますが、初めての妊娠だった為、私は「お腹の張り」というのがイマイチ分かりませんでした。どういう状態を指すのかが分からなったんです。

こんな妊婦なので医師にも看護師にも「お腹変なんです」としか伝えられず、もどかしい時間が流れていきました。最終的にお腹の張りをチェックする機械を付けてもらい1時間程様子見です。

その頃には気持ちも落ち着いていて「これが終わったら帰れるね」と旦那と呑気に話をしていました。

切迫早産で入院

1時間が経ち、私たちのところに先ほどの医師と看護師がやって来ました。

「定期的なお腹の張りが見られます。病名を付けるなら『切迫早産』です。今から入院して下さい」

私達夫婦は驚愕しました。

てっきり帰れるとばかり思っていたからです。何か薬をもらって安静にしてれば良いだろうな、と。実はその日の1週間後から旅行の予定を立てていたので、ガックリした事を覚えています。そんな気持ちからか最初にする質問としては間違った質問をしてしまいました。

「いつまで入院しないといけませんか?」

「分かりません。今は退院の事よりまず病気を治す事を考えて下さい」

医師の言葉が刺さりました。

病室

一先ず私はそのまま病室へ。夜も遅かったので旦那には帰ってもらいました。

私の症状は比較的軽めだったため投薬のみでした。しかし、通常の風邪薬などとは違い副作用があってしんどかったのを覚えています。

翌日連絡を受けた実母が来てくれました。元々私達の旅行には反対していた母はこう言いました。

「お腹の子は自分で自分の命を守ったのね。旅行なんかいつでも行けるけど、お腹の中にあるのは『』だからね」

それまではふーんとしか思ってなかった母の言葉がいつもと違った重みを持っていました。

「お腹の子供に何かあったら・・・」と夜間病院には駆け込むのに、旅行に関しては子供の事など二の次でした。妊婦になった今、「あーあ。ダメだった」では済まされない物を自分のお腹の中に持っているのだと。

そこからは安静に安静に過ごしすぎた結果、見事に体力がなくなってしまい、我が子に振り回される日々を送っています。

7月 28

病気と水害

夜中に急な腹痛で目覚めました。我慢していましたが、痛みは増すばかりで誰かを呼ぼうにも唸り声しか出ない状態でした。たまたま起きてきた両親が私の様子に驚いて救急車を呼んでくれました。

腹痛

救急車はすぐに到着しましたが、病院が中々決まらない様子でした。私の様子から手術の可能性もあると外科が当直の病院を探していたようで、市内の病院4件に断られ病院が決まるまで1時間以上かかっていたそうです。やっと決まったのは市外の病院でした。

腹痛の原因は麻痺性腸閉塞

搬送後、すぐにレントゲン撮影され麻痺性腸閉塞だと診断されました。以前にも腸閉塞で入院した事がありましたが、今回は症状が重く鼻から胃まで管を入れる事になりました。

痛みを和らげる点滴ですぐに痛みは落ち着きましたが、管の圧迫感で息苦しく話す事が困難だったので看護師さんに息苦しさを伝えると、胃の内容物があまり出てこないからと管は抜いてもらえました。

息苦しさから解放されたのも束の間、今度は吐き気に襲われました。吐き気止めの点滴の追加になりました。

半日以上経ち、やっと症状が落ち着きあとは排便があるまで絶食し、徐々に食べる練習をすれば退院となるので一安心していました。

台風で病院の機能がマヒ

入院2日目の明け方、急に浸水を伝える警報が鳴り響きました。台風が来ていて近くのため池が溢れて病院の地下の駐車場と1階が水没してしまい、配電盤が地下にあったようで病院は停電してしまいました。交通網も影響があり看護師さんも出勤出来ない状態になりました。

水害

電気は止まり、水も使えず、人手不足な病院。トイレは流れずトイレにオムツをひいて排泄。

飲み水は災害用の備蓄の水が配付され、食事は本来は重湯→粥→ご飯とゆっくりと食事形態を変えるのですが、非常食になり形態は関係なく同じものを食べる事になりました。

またエアコンが止まった暑さや急な災害で頭痛が悪化してしまい氷枕が欲しかったのですが、電気が来ていないので冷蔵されていない常温の冷えピタで暑さと頭痛を乗り越えました。

本来ならばまだ入院して様子観察なのですが、家の方が快適に過ごせるだろうと言うことで1週間程、早い退院になりました。災害の恐ろしさを体験した入院生活になりました。

7月 11

意外だった病気「睡眠時無呼吸症候群」

私が初めて病気に気づいたのは、本当に意外なところからでした。

背中の痛みが、2週間続いており逆流性食道炎の影響かと思いながら、痛み止を飲みながら過ごしていました。しかし、あまりにも、痛みがとまらないので大きな病院に行くことに。

看護士さんに症状の説明をして診察を待っていたら、先に血液検査とCTを撮ってくるように言われました。すべての検査が終わって、先生の診察で意外な事実がわかりました。

胆石症と睡眠時無呼吸症候群

私の病気は、胆石症と睡眠時無呼吸症候群でした。逆流性食道炎は睡眠時無呼吸症候群の合併症です。

睡眠時無呼吸症候群という言葉は知っていましたが、まさか自分にと思いました。それからは、家での検査キットを持って帰り、寝る時に簡易検査をしました。

無呼吸症候群

その簡易検査の結果で、睡眠時に30回も呼吸が止まってることがわかりました。入院しての検査が必要になり、1日入院して検査がおこなわれました。

検査は、頭の先から足首まで線につながれ、一晩寝るだけの検査でした。その結果もあまりにも良くなかったので、夜寝る時にCPAPという呼吸を助ける機械をつけることになりました。

この機械をつけることは、すごく抵抗がありました。でも、CPAPをつけないと寝ている時に、突然の心停止もあると言われ、頑張って病気を治すことに専念するために、CPAPをつけるようにしました。

初めてCPAPをつけた時は、本当に違和感があり常に空気が鼻から大量に入ってるので、気圧の高いところにいる感じもしまた。慣れてくると意外と楽になり、夜ぐっすり眠れて、朝も起きるのが楽になりました。

逆流性食道炎も症状が、まったくでなくなりました。今では、CPAPが無いと眠れない状態になってきました。

病院には月に1回行ってますが、睡眠時無呼吸症候群もすごく良くなりました。これからも睡眠時無呼吸症候群とは闘っていきますが、きっと治したいとおもっています。

病気は、本当に意外な事がきっかけで、見つかることもあるんだと思いました。

6月 25

膵炎(すいえん)を疑われたが結局急性胃腸炎だった話

社会人になり、急性胃腸炎にかかりました。早朝から嘔吐が続き、吐くものがなくなっても胃液を吐くような状態でした。上腹部の激痛もありましたが、簡単に救急外来に行っては迷惑だという認識があり、通常外来が空くのを待ちました。

致死率30%の膵炎かも・・・

車で病院まで送ってもらい、通常通り受付を済ませましたが、座っていられる状態ではなく、待合室の椅子で寝ていたところ、重症だと判断され順番を繰り上げての診察になりました。

腹痛

上腹部の痛みと吐き気ということで、急性胃腸炎という診断を受け、処置室で点滴治療を受けました。吐き気止め・鎮痛剤を入れているのにも関わらず、痛みが引かず、嘔吐も止まらなかったことから、急性胃腸炎ではなく膵炎ではないか?との疑惑が持たれました。

膵炎の場合致死率30%程度と高いそうで、緊急でCTをとることになりました。CTの間じっとしていなければならないですが、痛みがひどく大変だったのを覚えています。

診察結果は急性胃腸炎

結果、膵炎ではなく重度の急性胃腸炎と言う事がわかり、点滴を追加。丸一日処置室で点滴治療を受けた結果、痛みと吐き気が引き、やっと睡眠をとることができました。眠りに落ちた時の安堵の気持ちは今でも忘れません。

おかゆ

それから一週間はおかゆのみ。飲み物も人肌程度の温度にしたもののみというものでした。

痛みと吐き気も辛かったのですが、さらに辛かったのが治療費。CTと点滴全て併せて一日で2万円という治療費がかかりました。

既に社会人になっていたため、両親に払ってもらうわけにもいかず、点滴を押して院内のATMでお金を降ろしたのを覚えています。学生の頃は病院の受付から支払いまで、重症のときは両親に頼っていたので、自分でやらなければいけないことが辛かったです。

最近は救急車を気軽に使ってしまう事が問題になっているので、救急外来にもかかれませんでしたが、もし本当に膵炎だったらと思うと、思い切って救急外来にかかることも大事だと思いました。

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