4月 22

ぜんそくの私を一番に考えてくれた母に感謝

子供の頃、私は小児ぜんそくを患っていました。昼間は何故かぜんそくの症状が出ず、思いっきり遊んだりしていたのですが、夜になると一変します。「ヒーヒー、ゼーゼー」と気管支がなるのです。

母はそんな私の背中を夜通しさすってくれていました。明け方近くになってやっとウトウトし始めた頃には母はもういません。仕事に出かけたからです。朝早く出かけないといけないのに、母はいつも睡眠時間を削って、私の喘息の症状が治まった事を確認してから仕事に出かけるのです。目が覚めると誰もいない部屋で一人いるとなんだかとても寂しいのと、眠らずに働きに行った母への罪悪感で心がいっぱいになります。

母の職場はとても近くにあるのでお昼には帰ってくるのですが、いつも玄関からまっすぐ私の部屋に来てくれます。服を着替えたいはずですし、リビングのソファーで一休みしたいはずです。でも母は自分の事は二の次でいつも私の事を一番に考えてくれていました

母

そんなある日、ぜんそくの発作が治まらず、母におんぶしてもらって近所の診療所へいきました。診療所に着くといつもそのまま診察室へと向かうのは少し不思議な気持ちでした。普通は待合室で順番を待ちますよね。でもすぐ先生に診てもらい、注射を打ってお金を払って帰るのです。

その時母が少し多めのお金を払っているのを私は目撃しました。急病ということもあってすぐに診てもらえるようにといわゆるワイロ的なものを渡していたのです。今から40年くらい前の話なのでそういうことがOKな時代だったのかもしれません。ここでも母に迷惑をかけていることに気が付いてしまった私はやはり罪悪感でいっぱいでした。

辛い子供時代でしたが大人になるにつれてぜんそくも治まってきて今は丈夫な体になっています。母との思い出は少々辛い思い出が多いのですが、たくさん迷惑をかけた分、母の事は大事にしたいと思っています。お母さんありがとう。今度は私がお母さんのことを見てあげる番です。

4月 19

掌蹠膿庖症だと思って治療していたのに・・・結果は

実は、去年の夏に掌の皮がいきなり、ぼろぼろに剥けるという事態になり痒くて痒くて大変な思いをしました。
手のひら

1件目の病院の診断は「手湿疹」

まず、最初に行った皮膚科では、手湿疹と診断されました。その際に、洗剤を使う時には必ずゴム手袋をして、その下に綿の手袋をする様にと言われました。助言を忠実に守り、手袋をしていたのですが、一向に良くなる気配が有りません。

2件目の病院の診断は「掌蹠膿庖症」

そのため、今度は別の病院に行きました。すると、そこでは「掌蹠膿庖症(しょうせきのうほうしょう)」だと診断されました。掌蹠膿庖症といえば、奈美悦子さんが患った病気として有名ですね。秋田県の名医まで行ったとか・・・。

その診断を受けて「なぜ私がそんな難病にならないといけないのか?」と絶望的な気持ちになりました。そこのドクターは「私の所でも治せます。治療していきましょう。」と言い切るので、信用して通っていましたが、一向に良くなりません。

そのうち、首の付け根や腕の肘の内側、足の膝の裏がわまでもが赤くなりガサガサする様になり、全身がアトピーの様な症状になっていきました。毎晩毎晩、痒くて痒くて、夜も眠れない状態が続きました。

漢方

あるとき、友人に「症状が全部リンパに出てない?もしかしてステロイド飲んでる?」と聞かれました。そういえばと思い、思い切ってステロイドを塗ったり飲んだりするのをやめて、知り合いの漢方薬屋さんに相談しました。すると当帰飲子という漢方薬を出してくれました。それを飲んだら大体一週間くらいで鱗が落ちる様にスルスルと治っていきました。

結局、原因は「アレルギー」

その後、うっかりゴム手袋をしたら同じ様な症状が起きたので、色々調べてみると「ラテックスアレルギー」というゴムに被れるアレルギーだと言う事が判明。また、綿の手袋を濃縮洗剤で洗うともの凄い勢いで手の皮がぽろぽろ剥ける事も判明しました。

つまり、掌蹠膿庖症だと思って治療していたのは、単に強い洗剤とゴム手袋が原因だったのです。本当に遠回りしたな・・・。それから、洗剤と手袋に気をつける様になってからは、症状は出ていません。

3月 24

入院で家族の大切さを再認識

以前、卵巣腫瘍摘出手術のときに2週間程入院したことがあります。自分ではまったく気付かなかったのですが、あることが気がかりで、たまたま婦人科を受診したときに「手術が必要ですね」と突然言われ、思わず「え~っ、そんなつもりで今日は婦人科に来たんじゃないのに」とびっくりさせられたことがありました。

手術自体はそれほど大したことなく無事に終了したのですが、入院中、家族には本当に色々と迷惑をかけた事が思い起こされます。

家族の大切さ

いざ自分が入院してみると、何よりも気掛かりだったのは自分の体や手術のことではなく、放ったらかしにしてきた家庭のことでした。

入院中は時間がいっぱいあるので、「あ~、どうしよう。きちんと子供は栄養のあるものを食べているのだろうか」とか、「家の中が散らかりすぎたり、換気されていなくてカビだらけになっているのではないだろうか」と余計なことばかりが頭に浮かんでくるのです。嫌ですね。

しかし、こんなくだらない思いでいっぱいだった私に対して、夫はとても心強い存在でした。ちょうど私が入院していたとき、夫は毎日のように残業で大変な時期でした。それにもかかわらず、毎日必ず病院に顔を出してくれ、私を安心させてくれたのです。家事や育児はすべて夫任せでしたが、私が入院で留守中、夫は子供にもきちんと家事手伝いをさせて家庭運営をしてくれていたのです。

家族の支え

ふとある瞬間、私はこんなことを思いました。「やっぱり家族ってありがたい存在だなぁ。人間って、やっぱりお互い助け合わないとうまく生きていけないんだなぁ」と。身の回りのことはもちろんですが、それ以上に精神的支えがどれだけ大きいか、ということを私は家族愛を通して知りました。

病院の同室には、誰も訪問客が来ない患者さんがいたことを覚えています。今思い返すだけで胸が痛くなります。私は、この入院生活を通して人との関係が、家族との関係が、いかに大切かということを教えられた気がするのです。貴重な入院体験でした。

3月 10

妊娠早々インフルエンザ…

インフルエンザが今年も大流行しています。私は子供の頃から特に予防に力を入れていたわけでもなく、マスクなしで普通に生活していたのにも関わらず一度もかかったことがなかったので、体質的にインフルエンザにはなりにくいのかな?なんて軽いことを考えていました。

でもインフルエンザは体質どうこうというほど甘くないですね…。妊娠初期でつわりも始まり体力的に弱っていた頃に、見事に人生初のインフルエンザになってしまいました。

妊娠初期にインフルエンザに

発熱

その頃は会社勤めをしていたのですが、朝は元気だったのに昼過ぎから急に体調が悪くなり早退。明らかにいつもの風邪とは違う感じで、どうやって電車に乗って帰ったのかよく覚えていないぐらい朦朧としていました。その日は早めに寝て、翌日病院へ。

相変わらず高熱でボーっとしていましたが、なぜか「病院に行く前にシャワー浴びなきゃ」と思い、ツライ体にムチ打ってシャワーを浴びたのですが、これが大失敗でした。余計体力を使ってしまったのか、体調の悪さが倍増…。ヘロヘロになりながらかかりつけの産婦人科に行きました。産婦人科も隣の駅にあり、今考えるとタクシーを使えば良かったのですが、なにせ頭が働かず普通に駅まで歩いて電車に乗って行きました。まっすぐ歩けている気がしないほどのフラフラ状態でした。

病院についてすぐ検査をしてもらうとあっさり「あ?インフルエンザだね。」と言われ、ビックリしたのを覚えています。だいぶ辛かったけどただの風邪だと信じこんでいたので、インフルエンザと言われてもピンとこず、何をどうしていいやらわかりませんでした。しかも妊娠初期。赤ちゃんの脳や体が形成され始める大事な時期で、普通はその時期に薬を飲むことは勧められません。お医者さんも迷った選択だったのかもしれませんが、熱が高い状態が続くと赤ちゃんが危険と判断され、タミフルを処方されました。

Pregnancy

産婦人科の隣の薬局で処方箋を見せると、薬剤師さんに「妊娠されているんですよね?タミフルですか?」と心配そうに聞かれてしまいました。いや、むしろこっちが聞きたい。(笑) しかもちょうどタミフルがメディアで取り上げられている時期で(異常行動など)、私自信もだいぶ不安でした。

でも飲むしかないので祈るようにタミフルを飲んで安静にし、数日後再度病院を訪れました。その頃には熱も下がっていたので体は楽になりましたが、お腹の赤ちゃんは大丈夫なんだろうか?流産してないかな?薬飲んじゃったから奇形とかになったりしないとかな?と頭は不安と心配でいっぱいでした。

先生の「赤ちゃん、大丈夫ですよ。強い子だね。今回の薬で例えば奇形になるとか、そういう危険性はほぼないです。」と言われて体中の力が抜けるほどほっとしました。

そんなわが子も今は元気すぎるぐらい元気にスクスク成長中です。ちなみにわが子もまだ一度もインフルエンザにはかかったことがありません。このまま強くたくましく育ってほしいと思います。

2月 22

ストレス性急性胃炎で1週間入院しました

私は体が丈夫な方なので、風邪は滅多に引きません。もし引いたとしても、市販の風邪薬を飲んで1日寝ていれば、翌日にはすっかり治っています。ですからなかなか進行するまで病気に気づけなかったのか、ある時病院へ入院する程、大きな病気を患ってしまいました。

【ストレス性急性胃炎】原因は仕事の疲れ?!

その病気は「ストレス性急性胃炎」です。当時、私は仕事とその人間関係に追われ、1ヶ月に1、2日しか休みのない日々を半年も送っていました。

胃炎

最初の体調異変は胃痛で、朝起きた時や食後に胃がキリキリと痛むのです。突然激しくお腹を下す事もあったのですが、「ちょっと食あたりを起こしただけか」と放っていました。

それが何か月も続き、おかしいなと思って病院で診察してもらって、ストレス性急性胃炎と診断されたのでした。

病院へ行った時は意識も若干朦朧としていて、すぐに1週間の入院を余儀なくされました。どうやら下痢により脱水症状が起きていたり、自律神経が乱れていたので、入院によって体調を戻す事を優先されたのです。

仕事を1週間も休めないかもしれないと思ったのですが、診断書を見せるとあっさり休めてよかったです。病院の先生も「無理そうなら上司の方に、私からも症状の説明をしますから」と言ってもらえて大変心強かったです。

入院生活

入院の際には大部屋に入ったのですが、ベッドはあまり埋まっていなくて快適に過ごせました。病院食は味が薄いなと思ったのですが、それまでずっと忙しいからとコンビニ弁当ばかりだったので、バランスの良い食事が摂れたおかげで痩せました。

病室

入院初日~3日目までは胃が痛くて眠れない日もありました。でも看護師さんがこうしたら寝やすいですよとアドバイスをくれたり、ここは病院だから何かあっても大丈夫という言葉をかけてくれて、安心したのです。

1週間入院して、胃痛は治りました。体調もすっかりと良くなって、あのまま入院していなければもっと酷い状態だっただろうと思います。

自分は大丈夫だからと病院へ行かない、というのは危険だなと思いました。これからは何か気になる事があれば、病院で診察してもらう事が大切だと感じます。

2月 10

病気になると、何より家族の支えが必要

会社の健康診断で首のあたりが腫れているから病院に行くように言われました。そこから、何度も検査を重ねて「甲状腺乳頭ガン」が発覚しました。

ただ、主治医には「良性の腫瘍なので経過観察していきましょう」と言われました。しかし、腫れも大きくなり美容のために切開することを決意。美容の為の手術とはいえ、切除した腫瘍は病理検査に回されます。

なんと病理検査の結果は「悪性の腫瘍」だったのです。良性の腫瘍だと思い込んでいた先生が一番驚き、当然私もまさかの告知にショックを隠せませんでした。

その帰り道はどんな風に帰ったか覚えていません。でも、初めからガンと知って手術を受けていたら、私の精神状態は不安定で、色々なことが効率悪かったように思います。実際、同じ病室の新婚さん風の奥さんは、手術前の点滴すら泣いてできず、体が拒否反応。小さい子供のように泣き、旦那さんが遅くまで付き添っていました。もし、事前に告知されていたら私も同じようになっていたかもしれません。

病気には家族の支えが必要

家族の支え

子供が小さかったので、私の入院中は周りに大変苦労をかけました。昼間はお互いの両親に交代で子供を預かってもらい、夜になると旦那が自宅に連れて帰ります。また朝になると両親の家へ送ります。その繰り返しです。夜眠る時の「ぐずり泣き」が大変だったようです。もともとママじゃないとダメな子だったので、相当の苦労があったと思います。

手術後も苦労が続きました。しばらくは、重いものは持ってはいけないと言われていましたが、退院した日、泣きぐずる息子とあやし疲れて困っている父を見てられず、知らぬ間に抱き上げていました。

病気になると、イヤでも強くなるものですね。それから、私は色んな病気のハンデと闘いながら育児を頑張っています。

1月 18

親知らずの手術で入院した話

親知らずを抜く手術のために入院した事が有ります。この手術は、部分麻酔ではなく全身麻酔をかけた状態で行ったものです。通常なら歯科医院で済ませてしまう内容なのですが、私の場合、特殊な事情が二つあったため、入院しての手術となりました。

特殊な事情①

一つ目の事情は、親知らず自体の状態です。抜く必要のある歯は、横倒しになって生えていました。このため、これを抜くには大量出血に対して、備えの有る大病院がふさわしいと判断されたのです。最初にかかった小さな歯科医院の医師が判断し、大きな病院の口腔外科に紹介状を出してもらい、手術を受けることになりました。

特殊な事情②

二つ目の事情は、私の恐怖症です。当時の私は、広場恐怖で苦しんでいました。

広場恐怖とは、「広場」を恐がるという意味ではなく、パニック発作を経験した人が“特定の場所や状況”を避けるようになることです。

(引用:パニック障害教室

きっかけになったのは、数年前に生じたパニック障害です。パニック障害自体はおさまりつつあったものの、併発した広場恐怖がひどく、公共の場所や、身体的に拘束される場所を大変に恐れていました。この恐怖が起きてしまう場所には歯科なども含まれます。したがって、手術中に恐怖を感じて暴れるなどの状況を避けるため、全身麻酔が選択された次第です。

親知らずで入院

歯科

入院しての手術は、大病院での診察を複数回経た後に行われました。2007年の夏のことです。入院の期間は2日でした。私が入ったのは、9人の患者が入院している大部屋です。なぜか呼吸器系疾患のある人たちと同じ部屋だったので、枕元に見舞いの花を置いておくことは禁止されていました。後で分かったことですが、遠方に住む知人が私に花を贈ってくれようとして、病院に断られていたそうです。

手術を受けて印象に残った事

診察の後に手術となったわけですが、手術よりも印象に残ったのは、全身麻酔から覚めるときに起きた「術後せん妄」です。大声でうわごとを言って周囲の人に大変迷惑をかけてしまいました。なにしろ大部屋にいたものですから、他の入院患者をはじめ、見舞客にもかなりのひんしゅくを買ってしまいました。

なお、私の場合、特別に奇妙だったことが一つあります。なぜかうわごとを全部英語で発していたのです。確かに留学帰りで英語には不自由していなかったのですが、母国語でない言語をせん妄状態で話すというのは珍しいと担当医師に言われました。うわごとの内容が恥ずかしいので、無意識に英語に切り替えて周囲に伝わりづらいようにしたのかもしれません。

ちなみに、手術自体は成功しました。退院後の経過も順調で、手術の跡の傷は数週間ほどで何事もなかったかのように治りました。入院して親知らずを抜いた経験は、奇妙なせん妄現象の記憶とともに、今でも忘れられない思い出になっています。

1月 04

巨大子宮筋腫をどうするか、自分の納得のいく手術法をさがして

42才の時、近所の総合病院で赤ちゃんの頭大の「子宮筋腫」があると診断されました。

評判の良い女医さんがいるので、その病院で受診したのです。しかし、その日が定年退職される日で、治療に関しては後任の先生に引き継ぐ事になってしまいました。

婦人科にお世話になった事に有る方なら分かると思うのですが、評判の分からない先生に診てもらうのは不安なものです。そのため、「安心して治療を任せられる先生にお願いしよう」と思い、その日は診断だけ受けて帰りました。

子宮筋腫の手術法と病院探し

病院

症状はひどく、筋腫の大きさも放置できる状態ではなかったので、どういう手術法を選ぶか、どこの病院のお世話になるか、情報集めの日々が始まりました。

幸い(?)女性の四分の一が持っていると言われる筋腫なだけに、友人や親族、同僚に聞いてみると、結構な数の人に「私も筋腫もちだよ」あるいは「手術して取った」と言われました。

子宮を取るか、残すか、女性にとっては大きな決断です。いろんな人の意見、経験を参考にネットでも病院の情報を集めていきました。

いくつかの選択肢の中から、自分はUAE(子宮動脈塞栓術)という施術を選びました。子宮に至る動脈を塞栓して、筋腫に栄養をいかなくし、徐々に縮小させるという方法です。そして、群馬の総合病院でこの施術を数多く行っている良い先生がいることを知りました。

受診、そしてその日に入院

私の住む千葉県から群馬の総合病院までは電車で三時間かかります。何度も通うのは大変なので、ダメもとで入院の準備をして行きました。先生はとても優しい方で、私が別の病院で筋腫の診断を受け、UAEを望んでいること、千葉から来ているので可能であればこのまま入院したいことを伝えると、スケジュールを確認して何とかなるだろうと、受け入れてくださいました。(ほんとにたまたまタイミングが良かっただけなので、真似しないでください。)

病室

検査に一日、そして次の日にいよいよUAEを受け、その後4日ほど入院し帰宅となりました。

「あなたの場合筋腫が大きいので縮小はそれほど望めないが、症状は改善されるでしょう」という先生の言葉通り、全く良くなったわけではありませんが、かなり生活が楽になりました。手術以前は筋腫のせいで腰周りが緩いワンピースをよく着ていたのですが、ふと気がつくと今はジーパンをよく履くようになった自分がいます。

手術の成果が見て取れるので、苦労して情報を集めた日々が報われた気がします。

12月 24

病気の相談は「119番」ではなく専用の相談窓口(#7119等)へ

僕が就職をしたばかりの頃、上司との折り合いがつかず、プライベートでも問題が頻発していたときの話です。

目が覚めると、自分の声が出にくくなっていることに気付きました。最初は「風邪かな?」などと思っていたのですが、熱もないし、体もだるくない。喉をやられたなら咳のひとつも出そうなものなのに、それも出ない。葛根湯と栄養剤でも飲んでおけば治るだろうと高を括り、仕事が休みなのもあって、もう一度寝ました。

ところが、目が覚めても声は出ず、喉の奥がキュッと締まるような感覚と共に朝よりもか細い声しか出なくなってしまいました。その日は日曜日。近所にある病院はどこもお休みという状況です。ネットでも調べてみましたが、開いているところはどこもありません。

病気相談に119番へ電話

救急

僕はその頃、お客様対応の窓口にいたため、声が出なければ仕事ができないという状況でした。困り果てた僕は、使い方が間違っていることを承知で119番に電話しました。オペレーターの方が少し緊張した声音で電話に出たので、僕は慌てて「急患ではないのですが、よろしいですか?」と聞くと今度は少し怪訝な声になりながらも僕の話を聞いてくれました。

風邪っぽくはないのに声が出なくなってしまったこと。近所の病院が全部休診日であること。何科にかかればいいのかも分からず困っていることを告げると、電話口でオペレーターの方が親切に休みの日でも開いている病院を探してくれました。

結局、ストレスで失声症になってしまい、ほどなくして会社を辞め、転職することになるのですが、このときの救急の電話対応は忘れられない思い出の1ページとなっています。今では喉も治り、ストレスが溜まったなと思うとカラオケに行く毎日です(笑)

病気の相談は専用窓口(#7119等)へ

後で知りましたが、病状の相談などは別に窓口が有るそうですね。会社を休んではいけないとしきりに思ってしまい、このような行動に出てしまいましたが、病気を相談する窓口があることも覚えておくといいかもしれません。

因みに、相談窓口への短縮番号は「#7119」です。これは東京と大阪で使用出来るみたいですね。その他の地域にも専用の窓口が設置されているので、もしもの時の為に、調べてメモしておきましょう。

12月 07

ノロウイルスにかかり仕事に中々復帰することができなかった苦い思い出

私は結婚前、保育園で働いていました。12月に入り、保育園では「ノロウイルス」が大流行してしまい、多くの園児達が欠席をしていました。

私もノロウィルスに感染

私も感染しないようマスクをし、うがい手洗いは徹底していたのですが、仕事をしていて夕方いきなり気分が悪くなりました。そのことを園長先生に伝えると、すぐに帰るように言われ、保育園を後にしました。

トイレ

案の定、家に帰ると激しい「嘔吐」と「下痢」を繰り返しました。下痢よりも嘔吐が激しくて、最後には胃液しか出ない状態になり本当に辛い思いをしました。そして、次の日仕事を休み病院にいくと、検便をするように言われました。検便結果は「ノロウイルス」。

ノロウイルスは感染力が強いので、もちろん仕事には行けず自宅待機となりました。仕事復帰するには検便をしてノロウイルスが検出されなくなってからということを園長先生から伝えられました。

嘔吐と下痢を繰り返した次の日には症状はおさまり、普通に生活することが出来ていました。なので、あと2、3日ぐらい経てばノロウイルスは検出されないで仕事復帰できるだろうと思っていました。しかしそれが甘かったのです。

居座り続けるノロウィルス

状態が安定してから1週間後に病院にいき検便をすると、医師からはまだノロウイルスの反応が出ている、と言われ仕事復帰することが出来なかったのです。そのことを園長先生に伝えると「分かりました。また一週間後病院に行って検便してください」と、冷たい感じでいわれました。

数日で仕事復帰できると思っていたので、私自身とてもショックを受けていました。

12月はクリスマスの行事、1月には発表会があり衣装作りも始まっていました。本当に忙しい状況なのに自分は仕事にもいくことが出来ず、担任をしているクラスの子どもたちを他の先生に保育してもらうという状態になっていたので申し訳ない気持ちでいっぱいでした。嘔吐もなく食欲もあり元気なのに仕事にいけない、みんなに迷惑をかけてしまっている、自分が情けなくなりました。

仕事に復帰

そんな申し訳ない気持ちで一週間すごし、再び検便をするとノロウイルスは検出されず仕事復帰することが出来ました。仕事復帰をしたその日は全職員、一人ひとりに謝りました。

謝罪

このことを経験し「病気」というのは自分が体調を崩してつらい思いをするだけではなく、周りにも多大な迷惑をかけるものなんだなと実感しました。なので、二度とこのようなことが起きないよう自分の体調管理をしっかりしないといけないと思いました。

11月 24

酷い腹痛で夜に病院に行った過去の体験

私は小さい頃に腹痛をあまり体験しなかったのですが、大人になると腹痛に襲われる事が多くなりました。下痢や腹痛で病院に何度も行くようになって、それが悩みになったのです。いきなり腹痛になることも多く、常に病院に行くことを意識する生活が大変でした。

ある夜、我慢出来ないくらいの腹痛に襲われました。また、痛みのせいなのか、全身にものすごい量の汗を掻いていたので、「これは深刻な状態だ」と思いました。過去に経験した腹痛とは明らかに違うので、何らかの感染症にでもかかったのかと思い病院に行く事にしました。

腹痛

当時、家には複数の家族がいたので、車で直に病院に送ってもらうことに。酷い腹痛で動く事も出来ず、家族が車から私を担いで受付に運びました。この時は痛みに耐えるのに必死で何も考えられなかったと思います。

病院は夜でもしっかり診察してくれたので自分は幸運でした。仮に病院で診察を受ける事が出来なかったら、更に症状が悪化していたかもしれません。診察結果は「胃腸炎」でした。私のように、急な腹痛に見舞われる事もあるのだそうです。

胃腸炎は通常「下痢」と「嘔吐」を伴うようですが、今回は下痢のみの症状だったので、胃腸炎にしてはあまり酷い状態では無いのだそうです。医者に話を聞くと慢性的な胃腸炎でそれが急にきたというものだったのです。重大な病気だと思い込んでいた私は、診断結果を聞いてかなり恥ずかしい気持ちになりました。

トイレ

病院に行った後も数日は下痢と腹痛の状態で我慢するしかなかったです。辛いのは何かを食べると直に腹が痛くなって、食欲が無くなる事でした。これも胃腸炎の症状だったので何度も経験したくないと思ったものです。

一週間後には、下痢・腹痛の症状が治まり、普段の生活に戻る事が出来ました。急患のように思わせてしまったお医者さんには、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。

11月 13

喘息の発作が起こった思い出-吸入薬の凄さ

今では、ほとんど喘息の発作が起こる事は有りませんが、私は気管支喘息持ちです。

喘息の発作が起こると、呼吸をするたびにヒューヒューと音が鳴り、息苦しくなります。喘息持ちの人なら分かっていただけるかのではないでしょうか。発作がひどくなってくると、話す事や歩く事もままならなくなります。

そのような厄介な喘息の発作に、10代の時は毎日のように悩まされていました。そのため、かかりつけの病院に吸入薬を処方してもらい、発作を抑える日々が続きました。

喘息の発作時の吸入薬切れは命取り

吸入薬でなんとか喘息を抑えていた日々でしたが、忘れもしません、高校1年のゴールデンウィーク中に喘息の発作が起きました。

いつもならば吸入薬で発作を抑えるのですが、ちょうどその薬を切らせていたので、大変です。時間が経つにつれ、息苦しさが増し、歩く事も出来なくなったため、親に救急病院に連れて行ってもらいました。

喘息の発作

病院に到着し、車椅子に乗って病室へ行き、体を横にすると息苦しくてたまらないため、ベッドに座ったままヒューヒューと呼吸をしていたのを覚えています。そして、かかりつけの先生とは違い、その時の担当の先生はどうしようかと困っていたのも、忘れられません。

私は「吸入をしてほしい」と一言言いたかったのですが、そんなことも言えないぐらい、息苦しかったのです。

気管支拡張の注射をしても、改善する兆しは見えませんでした。もしかして、このまま死んでしまうのでは・・・?と、当時15歳ぐらいの私は覚悟を決めていました。喘息死の話を聞いた事が有りましたし。

そのような中、親が「吸入をしてあげてください」とやっと言ってくれました。そして吸入をしてもらうと、さっきまでの症状がまるで嘘のように、息苦しさが消えていきました。

吸入薬

担当の先生が「もっと早く気づいていれば、楽にしてあげれたのに」と悔しそうな表情をしていたのを、今も覚えています。

看護師さんに入院するように言われましたが、家の方がゆっくりできると言って断り、帰りました。

今現在は、ほとんど喘息の発作は起こらないのですが、吸入薬は肌身離さず持ち続けています。

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