9月 15

咳だけが出続ける!?もしかしたらマイコプラズマ肺炎かも

今から15年ほど前になります。あるとき、喉が痛いわけでもないのに咳が出ることが多くなりました。

「軽い風邪かな」と思い、市販の総合風邪薬や咳止めの薬を飲んでいましたが、いつまでも症状は治まりません。熱もないし、鼻水もでない。咳は出るのに、喉は痛くないし、声がかすれるわけでもない。

少し不安を感じ始めたので、近くの内科医院に行きました。

私の平熱は35.5℃くらいの低めの体温です。病院で熱を計っても36℃には届かない。

その時は2月頃で「花粉症からくるアレルギーが喉に出たのかもしれない。」と言われ、アレルギーの咳止めを処方してもらいました。

症状は治まらず・・・

ですが、5日経っても症状は治まらず、以前よりも咳込むのが酷くなってきたので、再び病院へ。毎日熱は計ってもいましたが、いつも36℃以下。

医者の診断

医師に、今度は気管支炎か喘息かもしれないと言われて、前回とは違う咳止めの処方薬をもらいました。

それでも一向に症状は良くならず、咳が一度出始めるとずっと咳が止まらず、呼吸も苦しくなるくらいになっていて「さすがにこれはおかしいぞ」と家族も心配になるほどでした。

特に、夜に咳が出ると眠れなくなり、体調にも影響がでてきてしまいました。

別の病院で診察を受けると「マイコプラズマ肺炎」である事が判明

そこで今までの病院とは違う病院で診察を受け、そこで初めてレントゲンを撮ったら、肺の部分が真っ白になっていて、診察した先生も「よくここまで我慢できたね。なぜもっと早く来なかったの?」とあきれ気味に言われました。

レントゲン撮影

その先生によると、マイコプラズマ肺炎は普通の肺炎よりも見分けるのは簡単ではないけど、レントゲンを撮ればすぐに判明できるらしいです。

ただ、患者さんは咳が出るだけで、熱は出ないから、そんなに深刻には考えない人が多いらしい。

肺炎なので、感染も考えられるということで、その日から症状が治るまでは安静にするように言われて、仕事も休むことになりました。

抗生物質を処方されて、自宅で1週間安静にしていたら、無事に完治しました。

結局、花粉症からくるアレルギーでもなく、気管支炎や喘息でもなく、もっと重症な肺炎だったのです。それ以来、ちょっとした風邪の症状でも、体に異変を感じたら、すぐに病院で診察を受けるようにしています。

8月 25

見逃さないで!精神疾患患者のSOS

私は三年前から現在に至るまで精神疾患を患っています。

病名は適応障害から始まり統合失調症、境界性人格障害、躁鬱病、と症状が変わるごとに違う病名がつけられてきて、今現在でも自分が何の病気なのかハッキリわかっていません。

現在は少し落ち着いており、毎晩寝る前に睡眠薬を1粒だけ飲んでいます。

主な症状としては以下のような感じです。

対人関係がうまく図れない
薬がないと眠れない
少しでも怒られたり屈辱的なことを言われるとパニックを起こして泣き叫んでしまう など

その他にもたくさん症状がありますが、昔に比べたらだいぶ落ち着いてきたと自分では思っています。

精神疾患を患っている人の本音~話を聞いて欲しい~

二年前は希死観念が凄く強く、リストカットや大量服薬を繰り返し、救急で運ばれ生死をさまよったこともありました。その時はただただ未来が不安で、私は結婚することができないのではないか、孤独死するのではないか、働けないのではないか、親が死んだら私はどうすればいい、などずっと不安でした。

今考えたらそんなに焦らなくても大丈夫だったと思うのですが、当時はそのような余裕がなかったのでしょう。というか無かったです。

それとSNSで同じ病気で悩んでいる子たちと仲良くなり、自慢のようにリストカットの写真を見せたり、一緒に大量服薬をしたりしていました。ほんとに情けないですよね。

今もSNSをみると昔と変わらないやり取りがされているのをよく見ます。

SOS

私もそうでしたが、どこかに助けてほしいというメッセージが隠れているのだと思います。

1人じゃないよ大丈夫だよって言ってほしいのだと思います。

ですが、病院の先生方の中には、そういったメッセージは放っておけと言う人がいますよね。構ってほしいからそのような事を書くんだ。言ってくるんだ、って。

でも私は放って置くのでなく、だからと言って過剰に反応するのでもなく、いつも通りになにやってんのよ!と落ち着かせることが大事だと思いますし、できるのであれば電話もしくは会って話を聞いてあげてほしいです。

自分のことなんか誰も必要と思っていない!と思い込んでいる事が多いので、そんなことはないよと言ってあげて欲しいです。

今でも数多くの精神疾患をもった患者さんがいますが、程よい距離を持ち、見離さないで治るまで一緒にいてあげてほしいし、私も治るように少しずつ頑張りたいです。

8月 11

卵巣嚢腫が検査で判明!摘出手術を受けるために入院

診察を受ける女性

当時、私は自覚症状はなかったものの、普段から下腹部の左右差のある膨らみが気になっていました。ある日、カンジダ症になり婦人科を受診した際、ついでに内診及び超音波検査を受けることになりました。結果は、右の卵巣が10センチ大の良性の腫瘍で膨らんでいました

先生からは「その重みで卵管が捻れ、血流が遮断される危険性があるので手術を受けた方が良い。最悪、卵巣ごと摘出しなければなりません。」と言われました。

それを聞いた時に、おそらく開腹手術になるだろうからお腹に傷が残るだろうという予測、そして片方の卵巣だけで将来の妊娠に影響はないだろうかという不安とショックがありました。

卵巣嚢腫の摘出のために入院・手術

それから1ヶ月して手術を受けるために入院しました。執刀医からは開腹手術をします、と宣言されました。

手術前日は、傷1つない腹部を見るのはもうこれで最後だろうという思いから、トイレでこっそりと自分のお腹を携帯で撮影しました。

手術当日、覚悟は決まっており「腫瘍だけ除去してもらって両方の卵巣が温存できますように」と願いながらope室へ入室しました。

手術

硬膜外麻酔とマスク吸入後は数秒で意識を失いました。

手術が終了したら、先生から「腫瘍だけ取り除くことができましたよ。」と言われホッとしました。母親も面会に来てくれて心強かったです。

但し、全身麻酔下での手術だったので、直後は息が苦しく数時間は酸素マスクをし続けました。

この時、「楽に呼吸ができるというのは幸せなことなんだ、そしてこうやって手術を受けられ卵巣を温存できたのも奇跡なんだ」と全ての事柄に感謝したい心境になりました。

手術当日は終日ベット安静で尿道カテーテルが挿入されていました。この時、「自分の陰部を他者に見られていたんだな」と思うと恥ずかしい気持ちになりました。

病室

翌日からは担当の看護師さんから歩く練習をするように促されました。この時期が創部の痛みがMAXの状態であり、ベットで寝返りを打つのもやっと、そして病室からトイレへ行くにもかなり時間がかかりました。もちろん、排便は力まないといけないので創部に痛みが走ります。暫くは便意を我慢したものです。

この頃も「痛みがなく過ごせる日常がどれほど素晴らしいものか」という悟りの境地に達していました。まさに病から教訓を得るといった感じです。

日数が経過するごとに痛みも次第に軽減し、とうとう抜糸の日(初めて自分の傷口を見る機会)が来ました。

先生と看護師がペアとなって、創部を閉じるための医療用ホッチキスを1つずつ外していきます。この時もちくりと痛かったです。

初めて傷口を見たとき、複雑な気持ちになりましたが、これはもう仕方がないことだと割り切ることにしました。

今でも、その傷口はケロイド状になって痕が残っています。この痕を見る度に当時の記憶が蘇ります。また、当時、担当してくださった看護師さんが優しく素敵な方で入院中は心の支えになりました。

同時に「健康でいることの有り難さ」を痛感しました。この出来事がキッカケで社会人から専門学校へ通い、現在、看護師として働いています。

7月 18

【重い生理症状】医師が変わったことで私の人生も変わった

私は若い時からずっと生理症状の重さに悩まされ続けてきました。

生理痛

日常生活に支障をきたすことも多く、一度婦人科へ行って検査をしてもらったものの、特に異常は見つからず・・・。月経前緊張症ではないかと診断されて、漢方薬を飲んでいましたが、改善が見られず医師と相談の末に服用を止めました。

その後も生理の重さは変わらず、年齢を重ねれば重ねるほどに、若いときとは違った症状に悩まされるようになりました。

別の医師に相談しても・・・

30歳を過ぎてからは子宮頸がん検診のため、近所の婦人科に行くようになりました。

その際、問診時に、医師に生理症状の重さを伝えて「何とかならないものか」と相談したのですが、血液検査をして貧血の数値が出なければ、特に治療するようなものではない、と言われてしまいました。

かなり年配の女性医師でしたので、もしかしたら生理とはそういうものだという意識が強かったのかもしれません。

大袈裟に言っているわけではなく、こんなに毎月ひどい症状に悩まされているのに、それを訴えても分かってもらえない辛さが増して、そのうち検診に行かなくなりました。

子宮腺筋症である事が判明

それからしばらくして、新しい仕事を始めたり、生活に様々な変化が起こったとき、やはり健康に過ごしたい気持ちが強くなり、生理症状の緩和のためにもう一度婦人科へ行ってみようと思うようになりました。

産婦人科医

そして以前と同じ婦人科へ行きました。そうしたら医師が変わっていて、年配の女性医師ではありましたが、私の生理症状の辛さをよく聞いてくれて、もう一度検査してきちんと子宮の状態を調べることを勧められました。

結局、検査をしたところ「子宮腺筋症」であるらしいことが分かりました。ひどい月経痛や過多月経など私に当てはまることが多く、医師の説明に納得しました。

一度は、閉経するまであと十数年我慢すればいいと思っていた私でしたが、きちんと治療方法がある症状であるならしっかり病気と向き合っていこうと前向きに考えられるようになりました。

でも、もしあのまま医師が変わらず「生理が重いのは仕方がない・生理とはこういうもの」と、自分に納得させるように思い込んでいたら、どんどん症状が重くなっていったと思います。私自身、他の婦人科へ行くことも考えずに諦めていましたから。

私の話をよく聞いて下さった医師には感謝しかありません。同時に、いくら医師に治療すべきことはないと言われても、自分の体があまりにも辛いようなら、体からの悲鳴に耳を傾けてあげないといけないと思いました。自分の体の声を聞いてあげられるのは結局自分しかいないのですから。

7月 08

難病になって生き方について考えるようになった

以前から健康診断の度に「尿たんぱくの数値」が出続けていましたが、その数値が出始めた頃はまだ体調もそこまで悪い感じもしなかったのです。

が、習慣でもあった成分献血(赤血球以外の成分を献血する方法)がいつもであれば数値が余裕で足りたのですが、それが急に出来なくなってきてしまいました。

そしてその頃から日々の疲れが抜けなくなっていき、尿が異常に泡立つようになり、地元の医院からこの状態では非常にまずいと言われ、慌てて紹介状を書いて頂きました。

IGA腎症という難病に・・・

精密検査の結果、担当の医師から「iga腎症と言う難病の疑いがある」と言われて、明日にでも入院の手続きをして欲しいと言われました。以前居た会社を退職してから在宅ワーカーとして働いていたので、迷う事なく手続きをする事にしました。

診察

腎臓の状態は楽観視出来る状態では無く、基準値を大幅に上回っていると言う事が告げられました。段階としてはハッキリと難病だと認める為に腎組織を摘出する腎生検、ステロイドパルスと呼ばれる点滴による投薬、そして最も辛かった扁桃腺摘出で合わせて計5回の入院とそれ以外の通院などもあり、家族のサポートが無ければ心細かったと思います。

最初の腎生検は局部麻酔だったので痛みこそ無かったのですが、針が入っていく感覚が伝わってきたので少し怖かったです。生検自体は無事に終わりましたが、その日は寝返りがうてず、とても辛かったです。

ステロイドパルス投薬は、数ヶ月毎に三日間行うのですが、ただの点滴だったので比較的ラクでした。

手術

そして扁桃腺摘出手術を受ける前は「死ぬかも知れない」と言う恐怖を感じました。初めての全身麻酔手術だったから、というのも有ったと思います。

麻酔がかかった時、「死ぬ時ってこんな感覚なのかな」と思うと、いつの間にか手術が終わっていました。

その後2週間程入院していましたが、毎日流動食である事と食べる時の喉の痛みによる食欲減退により、体重が5kg程落ちてしまいました。

先日になってやっと入院過程が終わり、通院のみになったのですが、20代で半年に5回も入院する事になるとは思いもしませんでした。

医療費は保険と難病申請によりほぼトントンになり、お金については問題無かったです。

この病気になってから食事も制限がかかりましたが、いかにいままで食生活に無頓着だったかを思い知らされました。生き方や考え方を変える良いきっかけになったのは、不幸中の幸いと言えるでしょうか。

6月 29

自律神経と胃腸の関係

以前より食事を少ししか食べられない、食後すぐに下してしまう、ということが2ヶ月ほど続きました。だんだんと揚げ物を食べると胃がもたれてしまう、2杯ほどお酒を飲んだら気持ち悪くなってしまうようになりました。

胃もたれで悩む男性

そんな風になったことは今まで無かったのでおかしいと思い、近くの胃腸科専門の町医者へ。そこではおそらく胃炎か何かだろうと言われ、簡単なお薬を処方されました。

が、お薬を飲んで一週間経っても改善されるどころか悪化し、食事はまったく摂れなくなり、常に胃痛を感じるように・・・。

大きな病院でも診てもらいましたが、ここでも胃の不調の原因は分からず・・・。胃カメラ・CT検査もしましたが、特別悪いところは見つかりませんでした。それどころか、胃はキレイだと言われる始末。

不調の原因は「機能性ディスペプシア」

結果、自律神経がうまく機能せずに体に不調をきたす「機能性ディスペプシア」だと診断されました。

私の場合、胃の動きが極端に悪くなっているせいで胃がもたれるのだろうと。胃に何も入っていない時に胃酸によって胃痛を感じるので、食事を摂れなくなってから胃痛が酷くなったのではないかと言われました。

医者の診断

今は患者数も多く、認知されるようになりましたが、私が病院にかかった頃はまだそのような症状がでる「病気」だと認定され、病名がついたばかりの頃でした。運が良かったのは、診てもらった病院にその病気の専門医がいたことでした。

その先生に直接診ていただいたのは、症状が出てから2ヶ月ほど経った頃でしたが、その他の先生方も機能性ディスペプシアについての知識があったので、病気の症状について丁寧な説明があり、適切なお薬を処方してもらえました。

ただ、自律神経が正しくなるのを待つしかない病気なので、すぐに元の量の食事を摂れるわけではありませんでした。症状が出て2ヶ月ほどはほぼ寝たきり。少しずつ動ける時間を増やし、食事の量を増やしていましたが、4ヶ月たったころには体重が10kgほど落ちてしまいました。

6月 16

母を失う恐怖~偶然が母の命を救った~

脳内出血

還暦を迎えたばかりの母が突然「脳内出血」で倒れました。

いくつもの偶然が重なり、大事には至らず、今はすっかり回復しましたが、あの時一つでも何かがズレていたらと思うと、今も怖くて震えてしまうことがあります。

そんな私と母の話です。

脳内出血は処置までの時間が重要

私と父は同じ職場で働いています。その日、父は会社に携帯を置いて出かけていました。

そんな時、突然私の携帯がなりました。

1つ目の偶然

机の上に置かれた携帯

普段であれば、私は携帯をカバンにいれており、仕事中に携帯を見ることはありませんが、その日に限ってなぜかデスクに持ってきていました。これが、後から思い返せば一つ目の偶然でした。

デスクに置いていた携帯を何の気なしに手にした途端に母からの着信。

仕事中と分かっているのにかけてくるなんて、どうしたんだろうと思い、出てみると、声にならない声で「助けて・・・」という母の声。「今すぐ帰ってきて。」というのが精一杯のようでした。

どうやら先に父の携帯に連絡をしたようでしたが、父は出なかったため私にかけてきたのでした。

私は実家から高速を使って1時間以上かかる場所にいました。

父とは連絡がつかないため、もちろんすぐに帰ろうとは思いましたが、声の様子から、

「もしかしたら1時間以内に死んでしまうかもしれない」

という恐怖を感じました。

そのため、私が帰っている間に、近所の人に様子を見に行ってもらおうと考えました。

ここで、二つ目の偶然です。

2つ目の偶然

父が携帯を置いて外出していたため、近所の人の携帯番号が入った父の携帯を使うことが出来、結果近所の人に母の様子を見にってもらうことが出来たのです。

心配そうに電話をかける男性

その後、近所の人からの連絡で、県内の大きな病院に搬送されること、意識もあるし手足も動くこと、ただ嘔吐がひどいということを聞きました。

私は結局自宅には戻らず、出先の父を拾い、搬送される病院へと向かいました。

その病院で聞かされた母の病名は「小脳出血」。

搬送された際の出血は1㎝以下でしたが、もしこれが3㎝以上まで広がれば手術の必要があると言われました。

搬送された日から丸1日血圧を下げる薬を投与した結果、出血は治まり、手術の必要はなくなりました。

お医者様からは、「発見が早かったのが何よりだった。発症から1時間以内が勝負だった」とのお言葉をいただきました。

3つ目の偶然

後から知ったことですが、私が父の携帯を使って連絡を取った人は、本来なら、その日から2泊3日で旅行に出ていたはずだったそうです。

それが、急きょ取りやめになったそうで、もしその人が旅行に行ってしまっていたら、母の様子を見に行ってもらえなかったのです。これが3つ目の偶然だったのです。

彼がいなければ、母の電話から1時間以上経過した後で私が家に着き、その後救急車を呼んで…といったことになっていたと思うのですが、その1時間の間に母を失っていたかもしれないのです。

思い返すと様々な偶然が重なって助かった母の命。

どれか一つでも欠けていたら、私は母を失っていたと思います。母を失うかもしれないと感じたあの恐怖・・・。あの恐怖だけはもう感じたくありません。

母が元気になった今、母と一緒に過ごせる時間を大切にしたいと感じています

6月 03

知ってる人は知っている!「尿路結石」と「前立腺肥大」の激痛

現在65歳の私は、人生で二度、救急車を呼んでも不思議でない病気になりました。

「尿路結石」による脇腹の激痛

脇腹の痛み

一度目は30代の頃です。会社勤めの頃ですが、早朝にわき腹に激痛が走りました。尋常ではない痛みです。

丁度土曜日だったと思いますが、近くに病院があることを知っていたので、自転車で急いで病院へ行きました。ペダルをこいでいた時、吐きそうになったのを覚えています。

レントゲンを撮ってもらい、尿路結石であることが分かりました。痛み止めの注射を打ってもらい、薬を処方されました。「水を良く飲んで、石を早く出すように!」と言われました。後日石が出てきたのを覚えています。

前立腺肥大によるカテーテル挿入!これが恐ろしく痛い

二度目は61歳のときです。丁度休みの日に買い物に行きました。初夏の頃にもかかわらず、家を出てから何度も尿意を覚えました。トイレの無いところを歩いていたので、公園で用を足しました。

その後も何度か尿意を催したのですが、何度目かに尿が全く出なくなったのです。タクシーで自宅に着き、暑い風呂に入りましたが一向に出ません。徐々に下腹部がふくれてきて、気分が悪くなり始めました。

子供がネットで検索してくれて、「カテーテルを通して貰ったら・・・」というような事を言っていました。大きな病院は少し離れた所にあり、電車に乗っていかなければなりませんでした。

もうこうなれば救急車だろうと電話をしたのですが、電話をした私が余りにはっきりと話していたためか、救急車の出動を断られてしまったのです。仕方ありません。タクシーを呼んで駅まで向かい、あとは電車に乗っていきました。

股間の痛み

病院では子供の話していた通り、ペニスの先からカテーテルを通されました。激痛であったことは言うまでもありません。診断の結果、前立腺肥大と尿閉であることが分かりました。薬では治らず、ペニスの先から電気メスを通して削るという野蛮な手術を後日受けました。

以上二度の経験は今だから笑えますが、当時は激痛で死にそうであったことは間違いありません。

5月 17

下腹部に激しい痛み!虫垂炎になり緊急入院

当時私は高校生でした。その日は朝からお腹の中心あたりが痛かったんです。もともと、私はお腹が弱く、時間が経てば治ると思っていました。

お昼を過ぎても痛みは引かず、仕方なく保健室で休むことにしました。夕方になり、痛みは引くどころかますます痛くなり、また痛みの場所が下腹部へと移っていきました。

さすがに、まずいと感じ病院へと運んでもらいました。病院に着いた頃には自分で立つこともできない程痛く、車いすを用意してもらいました。

腹痛でお腹を押さえる男性

5時を過ぎていたので、救急外来しかやっておらずそこで受診。しかし、その病院は市でもかなり大きな病院のため、1時間ほど待つ事に・・・。待っている際は、座っていることもできず、待合室のベットを貸り、横になっていました。

名前が呼ばれ、まず血圧、触診、問診を行い、超音波をとるとのことで移動。超音波をしている最中に激しい腹痛が嘘のように消えていき、超音波が終わるころには、自分で歩けるほどになっていました。

しかし、診察室へ戻ると「虫垂炎です」と医師から告げられ、「薬で散らすか、手術をするかです」と選択を余儀なくされました。なんで、今痛みが無いのに?と疑問に思いましたが、私の出した答えは【手術】でした。

手術

すぐに、手術着に着替え、点滴を入れ、手術室へ。その間1時間ほどでした。部分麻酔で行うとのことで、背中に麻酔薬をさしました。今まで生きてきて、味わったことのないほどの痛みが背中に走りました。今思うと、あの麻酔が一番痛かったです。

その後段々と、お腹の感覚がなくなり手術が開始されました。手術中はとても気持ち悪く、何度も吐きそうになりました。また、手術時間が40分程でしたが、20分程経ったところで耐えられなくなり、少し暴れてしまいました。

するとすかさず、全身麻酔に変更。マスクから麻酔薬を吸うと、すぐに眠気が襲ってきました。そう感じたころには、もう手術が終わっており、看護婦さんに起こされたところでした。

超音波の途中で痛みが消えたのは、重症化しマヒしていたからだそうです。痛みが消えても安心してはいけませんね。虫垂炎恐るべし!

4月 28

胃腸炎でお腹を壊して散々だった話

腹痛でお腹を押さえる男性

昔、私はウイルス性の胃腸炎にかかったことがあります。本当にお腹が痛くて、中学生にもなって「お腹が痛い!!」と泣き叫ぶほどの苦しみでした。

近所の内科に行くと、時期のせいか、インフルエンザや風邪、私と同じ胃腸炎になった人でごった返していました。

待ち時間は2時間。その間になんと3回も吐いてしまい、お腹の中は空っぽに。3回目は胃液しか出てきませんでした。吐くものが無くなると、とんでもないものがでてくるんだと朦朧とする意識のなかで思いました。

2時間も待たされ、「もしかしたら私は忘れられているのでは?」と心配になり、母に泣きながら、「本当に苦しいから早く見てもらいたい」と無理難題を押し付けていました。

胃腸炎の苦しみと比べたら注射なんかこわくない

注射

順番が来て、医者の前に来たときには、泣きじゃくる元気もなく、ただ「ううぅ・・・」と呻くだけになっていました。診察をしたお医者さんは「薬を飲んでも吐いちゃって出しちゃうから、注射しよう」と提案してきました。

私は昔から、注射が大の苦手でした。学校などで行われる予防接種にも、学年の中で私だけが泣き叫んで周りからバカにされてしまうほどの苦手っぷり。

しかし、このときの私は抵抗する気力もなく、そのまま肩あたりに痛みを伴う注射をされました。

このときの注射だけは泣かずに受けることができました。注射の痛みなんかより、お腹のほうが辛かったからです。

そして帰宅。

家に帰っても、注射の薬はまだ効き目が出ず、痛みは良くならないままでした。2階にあった自室ではなく、1階の洋間に寝かされていたのですが、洋間に敷かれた布団の上で「うわあああん!!」と泣きまくること2時間。

そして力尽きて寝る・・・痛みで起きる・・・暴れる・・・力尽きて寝る・・・。

一晩中その繰り返しで体はぼろぼろになってしまいました。

インフルエンザにもかかり40度近い熱を出したこともありましたが、胃腸炎にかかったときの方が辛かったです。

病気になんて、やはりなるもんじゃないなぁと心の底から思ったエピソードでした。

4月 20

ピクニックがまさかの惨劇に・・・緑色の○○にはご用心!

あれは忘れもしない、とある休日の出来事でした。まさか○○に触れたことによって、顔が大きくはれ上がってしまうとは・・・。

我が家には3歳になる男の子がいるんですが、じっとしている事が出来ない活発な男の子なんです。平日、我が子の面倒をみて一緒に過ごしているだけでヘトヘトに。

家族でピクニックへ

お弁当を食べてピクニックを楽しむ家族

そんな私を見ていた旦那が気を遣ってくれて「今日は天気も良いから国営の大きな公園にピクニックに行こう!!」ということで、気晴らしに家族で出かける事になりました。

お弁当やお茶、レジャーシート・・・準備は大変だけど、ピクニックとなると心が躍るのが不思議です。

実は、旦那はこのピクニックだけでなく、普段から休日には子供を色んな所に連れて出掛けてくれます。内心は家でまったりとしたいはずなんですが・・・。

そのため、息子は、パパのことが大好き!「パパが家にいる=どこかに遊びに連れて行ってくれる」ものだと思っているからです。ただ、連れていってもらえないとなると大暴れ・・・。

そんな暴れん坊の我が子を、その日はピクニックに出かけて放牧するのでした(笑)。

息子に異常事態発生!!

いつもなら公園に到着するやいなや走り回る子なのですが、この日はなにやら見つけたようで、ずーっと手になにかを握りしめていました。

時折「かわいいねー、かわいいねー」と声をかけてはニマニマ。

いったい何に声をかけてるのかと首を傾げつつ、園内を歩いていたところ、息子が突然発狂!!

何が起こったのかと息子の顔を覗き込んでみると、目も口もはれ上がってすごいことに・・・。

「なんでこんなことに?何か触ったの??」とたずねると、息子の小さな手に握りしめられていたものは

カエル!!

葉の上に載っているカエル

カエルの粘液がついた手で顔全体に触れてしまい、はれ上がってしまったのです。これには驚いてしまい、園のスタッフに相談し、近くにある休日診療をしている病院へ行くことに。

病院の先生からも「かえるの粘液に負けてしまったんだねー」とのこと。飲み薬と軟膏と目薬を処方してもらい、服用したことで一気に腫れは消えてなくなりました。

あれ以来、息子はカエルに触れることは無くなってしまいました。私たち夫婦もあれ以来、カエルには敏感に反応するように。カエル・・・恐るべし!!

2月 22

顔面麻痺になって1か月ほど毎日通院しました

夏が過ぎてちょうど涼しくなってきた時に、多忙だった仕事がひと段落し、気が緩んだ矢先、右側の顔に違和感を感じるようになりました。

気付いたのがちょうど昼休みの時で、歯磨きをしようとトイレの洗面台に立って口をゆすごうとした時に、ピューっと水が口からこぼれました。歯にすきまが開いているのかなとその時は思ったのですが、少しずつ右側の表情を作るのが難しくなっていました。

さらに、ペットボトルの水が口を付けて飲めなくなっていました。唇も力が入らなくなっており、鏡を見ると左側に唇が歪んでいました。

「これは一大事だ」と感じ、総合病院の救急外来へ駆け込みました。

診断

ちょうどその日は日曜だったため、「正確な判断が出来ない」という事で翌日の月曜に再度来院する事になりました。

何科に診てもらえばいいのか分からずでしたが、耳鼻科で診察を受けてくださいとの事で、診察を受けたところ、顔面麻痺という診断が下りました。医者によると、原因は「ストレス」か「寒い風に当たり過ぎた」かのどちらからしいです。

治療に入るために4週間の入院か通院が必要と言われました。その際にステロイド点滴を受ける事になるとも言われました。

その時心の準備が出来ておらず、頭は真っ白の状態でしたが、とりあえず会社の人事に連絡を入れました。「しっかり休養してください」との事で1か月休職扱いにしてもらいました。

問題は入院するか通院するかの二択ですが、料理が出来ない主人のことを思うと入院は出来ないと判断し、通院をすることを選びました。

ステロイド点滴

通院は毎日マスクをして他人に麻痺を見られないようにしました。4週間の通院は本当に辛く、まず診察を受けてから点滴を1時間打ちます。最初は良かったのですが、後から顔中に吹き出物が出て、とても痒かったですね。

また毎日点滴を打つため私の腕はポツポツと注射の痕だらけになっており、新人さんが血管に入らずに何度も抜き差しをした痕もくっきりと残ってしまい、人前では半袖になれないほどでした。

さてキチンと治療に専念した結果、現在は100%回復し、マスクなしで人前に出られるようになりました。1か月後には仕事に復帰しましたが、短時間勤務にして少し身体の負担を減らしてもらいました。

しばらくリハビリの時間を取って身体の調子を整えていきたいと思っています。

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