1月 18

親知らずの手術で入院した話

親知らずを抜く手術のために入院した事が有ります。この手術は、部分麻酔ではなく全身麻酔をかけた状態で行ったものです。通常なら歯科医院で済ませてしまう内容なのですが、私の場合、特殊な事情が二つあったため、入院しての手術となりました。

特殊な事情①

一つ目の事情は、親知らず自体の状態です。抜く必要のある歯は、横倒しになって生えていました。このため、これを抜くには大量出血に対して、備えの有る大病院がふさわしいと判断されたのです。最初にかかった小さな歯科医院の医師が判断し、大きな病院の口腔外科に紹介状を出してもらい、手術を受けることになりました。

特殊な事情②

二つ目の事情は、私の恐怖症です。当時の私は、広場恐怖で苦しんでいました。

広場恐怖とは、「広場」を恐がるという意味ではなく、パニック発作を経験した人が“特定の場所や状況”を避けるようになることです。

(引用:パニック障害教室

きっかけになったのは、数年前に生じたパニック障害です。パニック障害自体はおさまりつつあったものの、併発した広場恐怖がひどく、公共の場所や、身体的に拘束される場所を大変に恐れていました。この恐怖が起きてしまう場所には歯科なども含まれます。したがって、手術中に恐怖を感じて暴れるなどの状況を避けるため、全身麻酔が選択された次第です。

親知らずで入院

歯科

入院しての手術は、大病院での診察を複数回経た後に行われました。2007年の夏のことです。入院の期間は2日でした。私が入ったのは、9人の患者が入院している大部屋です。なぜか呼吸器系疾患のある人たちと同じ部屋だったので、枕元に見舞いの花を置いておくことは禁止されていました。後で分かったことですが、遠方に住む知人が私に花を贈ってくれようとして、病院に断られていたそうです。

手術を受けて印象に残った事

診察の後に手術となったわけですが、手術よりも印象に残ったのは、全身麻酔から覚めるときに起きた「術後せん妄」です。大声でうわごとを言って周囲の人に大変迷惑をかけてしまいました。なにしろ大部屋にいたものですから、他の入院患者をはじめ、見舞客にもかなりのひんしゅくを買ってしまいました。

なお、私の場合、特別に奇妙だったことが一つあります。なぜかうわごとを全部英語で発していたのです。確かに留学帰りで英語には不自由していなかったのですが、母国語でない言語をせん妄状態で話すというのは珍しいと担当医師に言われました。うわごとの内容が恥ずかしいので、無意識に英語に切り替えて周囲に伝わりづらいようにしたのかもしれません。

ちなみに、手術自体は成功しました。退院後の経過も順調で、手術の跡の傷は数週間ほどで何事もなかったかのように治りました。入院して親知らずを抜いた経験は、奇妙なせん妄現象の記憶とともに、今でも忘れられない思い出になっています。

1月 04

巨大子宮筋腫をどうするか、自分の納得のいく手術法をさがして

42才の時、近所の総合病院で赤ちゃんの頭大の「子宮筋腫」があると診断されました。

評判の良い女医さんがいるので、その病院で受診したのです。しかし、その日が定年退職される日で、治療に関しては後任の先生に引き継ぐ事になってしまいました。

婦人科にお世話になった事に有る方なら分かると思うのですが、評判の分からない先生に診てもらうのは不安なものです。そのため、「安心して治療を任せられる先生にお願いしよう」と思い、その日は診断だけ受けて帰りました。

子宮筋腫の手術法と病院探し

病院

症状はひどく、筋腫の大きさも放置できる状態ではなかったので、どういう手術法を選ぶか、どこの病院のお世話になるか、情報集めの日々が始まりました。

幸い(?)女性の四分の一が持っていると言われる筋腫なだけに、友人や親族、同僚に聞いてみると、結構な数の人に「私も筋腫もちだよ」あるいは「手術して取った」と言われました。

子宮を取るか、残すか、女性にとっては大きな決断です。いろんな人の意見、経験を参考にネットでも病院の情報を集めていきました。

いくつかの選択肢の中から、自分はUAE(子宮動脈塞栓術)という施術を選びました。子宮に至る動脈を塞栓して、筋腫に栄養をいかなくし、徐々に縮小させるという方法です。そして、群馬の総合病院でこの施術を数多く行っている良い先生がいることを知りました。

受診、そしてその日に入院

私の住む千葉県から群馬の総合病院までは電車で三時間かかります。何度も通うのは大変なので、ダメもとで入院の準備をして行きました。先生はとても優しい方で、私が別の病院で筋腫の診断を受け、UAEを望んでいること、千葉から来ているので可能であればこのまま入院したいことを伝えると、スケジュールを確認して何とかなるだろうと、受け入れてくださいました。(ほんとにたまたまタイミングが良かっただけなので、真似しないでください。)

病室

検査に一日、そして次の日にいよいよUAEを受け、その後4日ほど入院し帰宅となりました。

「あなたの場合筋腫が大きいので縮小はそれほど望めないが、症状は改善されるでしょう」という先生の言葉通り、全く良くなったわけではありませんが、かなり生活が楽になりました。手術以前は筋腫のせいで腰周りが緩いワンピースをよく着ていたのですが、ふと気がつくと今はジーパンをよく履くようになった自分がいます。

手術の成果が見て取れるので、苦労して情報を集めた日々が報われた気がします。

12月 24

病気の相談は「119番」ではなく専用の相談窓口(#7119等)へ

僕が就職をしたばかりの頃、上司との折り合いがつかず、プライベートでも問題が頻発していたときの話です。

目が覚めると、自分の声が出にくくなっていることに気付きました。最初は「風邪かな?」などと思っていたのですが、熱もないし、体もだるくない。喉をやられたなら咳のひとつも出そうなものなのに、それも出ない。葛根湯と栄養剤でも飲んでおけば治るだろうと高を括り、仕事が休みなのもあって、もう一度寝ました。

ところが、目が覚めても声は出ず、喉の奥がキュッと締まるような感覚と共に朝よりもか細い声しか出なくなってしまいました。その日は日曜日。近所にある病院はどこもお休みという状況です。ネットでも調べてみましたが、開いているところはどこもありません。

病気相談に119番へ電話

救急

僕はその頃、お客様対応の窓口にいたため、声が出なければ仕事ができないという状況でした。困り果てた僕は、使い方が間違っていることを承知で119番に電話しました。オペレーターの方が少し緊張した声音で電話に出たので、僕は慌てて「急患ではないのですが、よろしいですか?」と聞くと今度は少し怪訝な声になりながらも僕の話を聞いてくれました。

風邪っぽくはないのに声が出なくなってしまったこと。近所の病院が全部休診日であること。何科にかかればいいのかも分からず困っていることを告げると、電話口でオペレーターの方が親切に休みの日でも開いている病院を探してくれました。

結局、ストレスで失声症になってしまい、ほどなくして会社を辞め、転職することになるのですが、このときの救急の電話対応は忘れられない思い出の1ページとなっています。今では喉も治り、ストレスが溜まったなと思うとカラオケに行く毎日です(笑)

病気の相談は専用窓口(#7119等)へ

後で知りましたが、病状の相談などは別に窓口が有るそうですね。会社を休んではいけないとしきりに思ってしまい、このような行動に出てしまいましたが、病気を相談する窓口があることも覚えておくといいかもしれません。

因みに、相談窓口への短縮番号は「#7119」です。これは東京と大阪で使用出来るみたいですね。その他の地域にも専用の窓口が設置されているので、もしもの時の為に、調べてメモしておきましょう。

12月 07

ノロウイルスにかかり仕事に中々復帰することができなかった苦い思い出

私は結婚前、保育園で働いていました。12月に入り、保育園では「ノロウイルス」が大流行してしまい、多くの園児達が欠席をしていました。

私もノロウィルスに感染

私も感染しないようマスクをし、うがい手洗いは徹底していたのですが、仕事をしていて夕方いきなり気分が悪くなりました。そのことを園長先生に伝えると、すぐに帰るように言われ、保育園を後にしました。

トイレ

案の定、家に帰ると激しい「嘔吐」と「下痢」を繰り返しました。下痢よりも嘔吐が激しくて、最後には胃液しか出ない状態になり本当に辛い思いをしました。そして、次の日仕事を休み病院にいくと、検便をするように言われました。検便結果は「ノロウイルス」。

ノロウイルスは感染力が強いので、もちろん仕事には行けず自宅待機となりました。仕事復帰するには検便をしてノロウイルスが検出されなくなってからということを園長先生から伝えられました。

嘔吐と下痢を繰り返した次の日には症状はおさまり、普通に生活することが出来ていました。なので、あと2、3日ぐらい経てばノロウイルスは検出されないで仕事復帰できるだろうと思っていました。しかしそれが甘かったのです。

居座り続けるノロウィルス

状態が安定してから1週間後に病院にいき検便をすると、医師からはまだノロウイルスの反応が出ている、と言われ仕事復帰することが出来なかったのです。そのことを園長先生に伝えると「分かりました。また一週間後病院に行って検便してください」と、冷たい感じでいわれました。

数日で仕事復帰できると思っていたので、私自身とてもショックを受けていました。

12月はクリスマスの行事、1月には発表会があり衣装作りも始まっていました。本当に忙しい状況なのに自分は仕事にもいくことが出来ず、担任をしているクラスの子どもたちを他の先生に保育してもらうという状態になっていたので申し訳ない気持ちでいっぱいでした。嘔吐もなく食欲もあり元気なのに仕事にいけない、みんなに迷惑をかけてしまっている、自分が情けなくなりました。

仕事に復帰

そんな申し訳ない気持ちで一週間すごし、再び検便をするとノロウイルスは検出されず仕事復帰することが出来ました。仕事復帰をしたその日は全職員、一人ひとりに謝りました。

謝罪

このことを経験し「病気」というのは自分が体調を崩してつらい思いをするだけではなく、周りにも多大な迷惑をかけるものなんだなと実感しました。なので、二度とこのようなことが起きないよう自分の体調管理をしっかりしないといけないと思いました。

11月 24

酷い腹痛で夜に病院に行った過去の体験

私は小さい頃に腹痛をあまり体験しなかったのですが、大人になると腹痛に襲われる事が多くなりました。下痢や腹痛で病院に何度も行くようになって、それが悩みになったのです。いきなり腹痛になることも多く、常に病院に行くことを意識する生活が大変でした。

ある夜、我慢出来ないくらいの腹痛に襲われました。また、痛みのせいなのか、全身にものすごい量の汗を掻いていたので、「これは深刻な状態だ」と思いました。過去に経験した腹痛とは明らかに違うので、何らかの感染症にでもかかったのかと思い病院に行く事にしました。

腹痛

当時、家には複数の家族がいたので、車で直に病院に送ってもらうことに。酷い腹痛で動く事も出来ず、家族が車から私を担いで受付に運びました。この時は痛みに耐えるのに必死で何も考えられなかったと思います。

病院は夜でもしっかり診察してくれたので自分は幸運でした。仮に病院で診察を受ける事が出来なかったら、更に症状が悪化していたかもしれません。診察結果は「胃腸炎」でした。私のように、急な腹痛に見舞われる事もあるのだそうです。

胃腸炎は通常「下痢」と「嘔吐」を伴うようですが、今回は下痢のみの症状だったので、胃腸炎にしてはあまり酷い状態では無いのだそうです。医者に話を聞くと慢性的な胃腸炎でそれが急にきたというものだったのです。重大な病気だと思い込んでいた私は、診断結果を聞いてかなり恥ずかしい気持ちになりました。

トイレ

病院に行った後も数日は下痢と腹痛の状態で我慢するしかなかったです。辛いのは何かを食べると直に腹が痛くなって、食欲が無くなる事でした。これも胃腸炎の症状だったので何度も経験したくないと思ったものです。

一週間後には、下痢・腹痛の症状が治まり、普段の生活に戻る事が出来ました。急患のように思わせてしまったお医者さんには、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。

11月 13

喘息の発作が起こった思い出-吸入薬の凄さ

今では、ほとんど喘息の発作が起こる事は有りませんが、私は気管支喘息持ちです。

喘息の発作が起こると、呼吸をするたびにヒューヒューと音が鳴り、息苦しくなります。喘息持ちの人なら分かっていただけるかのではないでしょうか。発作がひどくなってくると、話す事や歩く事もままならなくなります。

そのような厄介な喘息の発作に、10代の時は毎日のように悩まされていました。そのため、かかりつけの病院に吸入薬を処方してもらい、発作を抑える日々が続きました。

喘息の発作時の吸入薬切れは命取り

吸入薬でなんとか喘息を抑えていた日々でしたが、忘れもしません、高校1年のゴールデンウィーク中に喘息の発作が起きました。

いつもならば吸入薬で発作を抑えるのですが、ちょうどその薬を切らせていたので、大変です。時間が経つにつれ、息苦しさが増し、歩く事も出来なくなったため、親に救急病院に連れて行ってもらいました。

喘息の発作

病院に到着し、車椅子に乗って病室へ行き、体を横にすると息苦しくてたまらないため、ベッドに座ったままヒューヒューと呼吸をしていたのを覚えています。そして、かかりつけの先生とは違い、その時の担当の先生はどうしようかと困っていたのも、忘れられません。

私は「吸入をしてほしい」と一言言いたかったのですが、そんなことも言えないぐらい、息苦しかったのです。

気管支拡張の注射をしても、改善する兆しは見えませんでした。もしかして、このまま死んでしまうのでは・・・?と、当時15歳ぐらいの私は覚悟を決めていました。喘息死の話を聞いた事が有りましたし。

そのような中、親が「吸入をしてあげてください」とやっと言ってくれました。そして吸入をしてもらうと、さっきまでの症状がまるで嘘のように、息苦しさが消えていきました。

吸入薬

担当の先生が「もっと早く気づいていれば、楽にしてあげれたのに」と悔しそうな表情をしていたのを、今も覚えています。

看護師さんに入院するように言われましたが、家の方がゆっくりできると言って断り、帰りました。

今現在は、ほとんど喘息の発作は起こらないのですが、吸入薬は肌身離さず持ち続けています。

10月 28

これって普通?中耳炎で3回も手術

中耳炎といっても2種類有るのは知っていますか?「急性中耳炎」と「滲出性中耳炎」が有り、私がかかったのは痛みのないほうの滲出性でした。

中耳炎で3回の手術

薬を処方され、週2回通院したものの治らず、色んな薬を試してもなかなか完治しませんでした。お医者さんから手術をしましょうと言われ、どんな手術なのかもよくわからないまま了承しました。

手術の内容を簡単に言うと、耳の中にたまった水を抜き出すものでした。時間もそんなにかからなくて、入院もしないで大丈夫なくらいの簡単な手術です。

麻酔によって痛みはないものの、ものすごい大きな音が耳の中で聞こえます(これが非常に怖いです)。その手術をして薬をまた飲んで、様子見ということになりました。しかし、数日してもなかなかよくならず、だんだん不安すら覚えました。

中耳炎

その後何ヶ月も通院を繰り返します。その際に空気を抜く治療もしました。鼻から管を通して、息を吸い込むというものです。1、2度ならともかく、その治療を週に2回やりに耳鼻科に通うのは、かなり苦痛でした。

それでも耳の状態が良くならないので、再度手術です。手術自体は簡単なものですので、手術を受ける事は別に構わないのですが、手術をしたのによくならない事に納得はいかなかったです。

それでもあきらめずに手術と通院を繰り返しました。しかし、残念な事に2回目の手術でもいい方向には向かいません。なのでまた同じ治療です。いつまでこんなのが続くの?と思い始めました。治療をしてもしても治らず、病院を変えようか悩み始めました。

最後の思いで3回目の手術をしました。それでダメなら病院を変えるつもりでした。3回目の手術と治療、薬で様子を見てみました。そうすると、ようやく良い方向に向かうグラフになってきました。グラフ上、山のようになればよくなっている証拠らしいです。今まではその山がなくて直線だったのです。ですが、3回目の手術のあとにその山が見えて、耳の通りも良くなってくるのが分かりました。

ほんとにホッとした瞬間です。このまま薬を飲み続けて、この良い状態が続けばようやく完治です。光が見えてきたと喜び通院してました。その後、完治して今は中耳炎もほとんどかかりません。

10月 10

おじいちゃんの腹痛の話

80歳を過ぎた祖父のお話です。おじいちゃんは普段から畑で元気に野菜栽培をしているのですが、ある夜、突然の「発熱」と「腹痛」で倒れてしまいました。飼っていた犬が異変に気付き教えてくれたのですが、下痢症状もなく食中毒ではなさそうでした。

自力では動けそうにないので、高齢で夜中ということもあり救急車を呼びました。近くの大学病院で処置を受け、点滴投与と検査で朝まで病院に入っていましたが、様態が落ち着いたので帰宅することになり結局、もしかしたら虫垂炎の初期段階かもしれないと言うだけで原因はよくわからないままでした。

翌日に元気を取り戻したおじいちゃんは調子に乗って畑へと出かけて行きます。前日に救急車で運ばれたと思えない程でした。ところが3日後、またも腹痛で動けなくなってしまいました。今回は自力で病院に行きました。

腹痛の原因は虫垂炎

診断

病院での診察の結果、「虫垂炎」と診断され入院するはめになりました。腹痛の原因が虫垂炎と分かり、そこまで大きな病気では無かった事に家族みんなホッと胸を撫で下ろしました。

その後、手術と薬物治療のどちらにするか選択を迫られ年齢も考慮し薬を選びました。それでひと段落かと思ったのです。しばらく経ってまた炎症が起き入院です。もう痛みが辛くて嫌気がさしたおじいちゃんは手術を選択しました。周りは反対しましたが、祖父は何度か手術経験があり今回のは大した手術ではないから大丈夫だの一点張りです。仕方なく手術の段取りをお願いしました。

無事手術が終わり、痛みも消え去ったようで、家族みんな安心しました。術後の入院は経過観察と体力の回復が目的だったので、おじいちゃんは入院生活が退屈で仕方なかったようです。

畑

今の医療技術で傷も小さく治りも早かったので、退院してすぐまた畑に出かけて行きました。畑で作業することが生きがいの一つなので、それを取り上げることはできませんが、これからは作業時間を少し減らしてもらいたいです。始めると電話もアラーム音も聞こえなくなるし、水分補給もご飯も忘れて熱中してしまいます。

夏場は熱中症で倒れてしまうのではないかと心配ですが、そんな元気いっぱいのおじいちゃんでいてもらいたいとも思っています。でも、歳を少しは考えてねと言い続けています。今回の原因が本当に虫垂炎でよかったです。

9月 25

40代で乳がんになった時の話

41歳の時に乳がんにかかりました。発見したのは当時6歳の息子です。というのも、一緒にお風呂に入っている時に、乳首から血が出ている事を発見したのが息子でした。その症状が乳がんの症状である事を知っていたのですが、不思議がっている息子には誤魔化してその場をやり過ごしました。

胸部レントゲン

翌日、病院に行きレントゲンや細胞診の結果、初期の乳がんであることが分かりました。まさか自分が乳がんになるとは思わなかったので、まるで人ごとのように感じてしまい、淡々と入院し治療を受けていました。

その後、医師である父の紹介で、乳がんの専門医の先生がいる病院を紹介してもらって、そこに入院して、手術を受けることになりました。大学病院だったのですが、大きくてけっこう新しくてきれいな病院でした。

手術のときには、左の乳房を全摘したのですが、麻酔がきいていたので全く何も覚えていません。気が付いたらベッドで寝ていて、家族が近くに座っていました。思ったほど痛みは感じませんでした。胸が片方なくなってしまいましたが、もともとそんなに胸がある方ではないし、まあ仕方ないなあ、という感じで受け入れていました。

病室

その後、6人部屋に移って、他の患者さんたちとも会ったのですが、その部屋はだいたい乳がんの人が多かったです。再発の人もいて、私よりも重症の人ばかりだったのですが、笑顔で接してくれたり、乳がん患者のサークルを紹介してくれたり、本を貸してくれたりしました。肺に転移してかなり呼吸が苦しそうな人もいましたが、その人はずっと源氏物語を読んでいました。本を貸してくれてよく話しかけてくれた女性は、再発で骨に転移して、抗がん剤の治療を受けているとのことでした。みなさん私よりも大変なのに、励ましてくれたり話をしてくれたりしたのでありがたかったです。

乳がんとはいえ、私の場合は初期のもので、手術だけですんで抗がん剤の治療もしなくて良かったし、その後幸い再発も転移もなく、無事でいるわけですが、左の胸が何もないことに時々気がつくと、そうだ、乳がんだったんだ、と思い出したりします。

9月 11

【産まれてきた我が子に感謝】子宮筋腫になって

妊娠

27才の時に、第1子の妊娠している事と共に、親指の第一関節程の大きさの子宮筋腫がある、と医師に伝えられました。

まだ若くて何も知らなかった私は「赤ちゃんが産めなくなるのでは?」と、不安になりましたが、先生曰く「筋腫が小さいので大丈夫」との事でほっとしました。

その後、年子で第2子を授かりましたが、精神的にゆとりが無かったので産むことに対して不安がありかなり悩みました。それでも悩み抜いたあげく、せっかく授かった赤ちゃんなので産む決心をしました。

子宮筋腫が悪化

その第2子が2才になる頃から、生理時の出血が尋常ではなくなりました

生理の2・3日は普段から出血量は多い方でしたが、椅子などに座っていて立ち上がると、まるで滝のようにざーっと流れ出るのです。思わず、「あっ!」と小さく叫んでしまう時もありました。知らない回りの人は、あの人どうしたんだろう、と訝しげ思ったことでしょう。

それほど出血がひどくなり、生理パットは日中でも昼用では防ぐことができないので、夜用を使うようになりました。

子どもが小さかったので、なかなかお医者さんに行くチャンスもできなかったのですが、私の不安を夫が気付いてくれて会社を休んでくれたので、かかりつけの産婦人科に行くと以前の親指の第一関節程の筋腫が大きくなっていたのです。その為に出血がひどくなっていたのです。

私の筋腫の大きさは拳大くらいで、筋腫が大きな人は赤ちゃんの頭くらいになるそうなのです。私の場合はまだ手術しなくても良いかもしれないが、出血がひどく貧血になって、例えば駅のホームから落ちたり色々な危険が考えられる、という事で医師から手術を勧められました。

子宮をとるということは、もう赤ちゃんが産めなくなるということです。が、経済的に子ども2人が限度だったので、手術をすることにしました。

子宮がなくなると生理もなくなり、30代前半で私は更年期障害を迎えるのかと心配になりました。すると先生は、卵巣が残っているから、女性ホルモンは分泌されるから大丈夫だよ、と教えてくださいました。

産まれてきてくれた我が子に感謝

赤ちゃん

第2子を堕胎していたら、私は2人の子どもの母にはなれなかったでしょう。悩みながらも人間的行動をとれたことにほっとすると共に、今、現在、元気で笑っている子どもをみると勇気を出して生んで良かったなと思いつつ、「堕胎しようと考えたお母さんを許してね。産まれてきてくれてありがとう!」と、心から思うのです。

8月 21

小児科に子どもの付き添いで入院してモンスターファミリーと同部屋に

病室

2年前になりますが、子どもが「RSウイルス」に感染し、こじらせて「肺炎」になってしまい入院していました。

その病院は、小児科に限って、保護者が24時間付き添うことが前提で、夜も私が泊まり込んでいました。

よって、大部屋にいる子ども4人に対して、夜間もそれぞれの保護者(ほとんどがママ)が付き添って寝ていたのですが、とても非常識な親がいたのです。

小児科に入院すると、非常識な親がたまにいる

迷惑

4人のうち、うち、隣のベッドのお子さんはまだ2歳くらい、向かいのベッドのお子さんは新生児でした。

そして、問題のママは斜向かいのベッドで、お子さんは年長さんか小学校低学年くらいの感じでした。

昼間もそのぼっちゃんは退屈なこともあり、とにかく大声でうるさく大部屋の室内を自由にウロウロしていました。本当は部屋から出てはいけないのに、勝手に出入り口付近まで歩いていって廊下に少し出てみたり。

一応、大部屋とはいえ、一人一人の空間が持てるよう仕切りのカーテンがあり、どのベッドもカーテンを引いていたのですが、その子が勝手に開けて覗いてくることもしばしば。

イラッとしながら「”なにか用があるのかな?」と聞きますが、声をかけられるとシャッとカーテンの向こうへと消えていきます。

何が腹が立つって、子どもは仕方ないとして、全く注意しない親に対してイライラしたのです。

そして、「ちょっとは周りに迷惑かけないよう注意してくれないのかな?」と不満を募らせていると、聞こえてきた子どもの言葉に唖然。

「ねえ、母ちゃん、母ちゃん。起きてよー。何で寝てるの?起きてよー」と。

何と言うことか、子どもが周囲に散々迷惑をかけているのに、ママは一人、子どものベッドで昼寝をしていたんです。

そして、子どもはと言うと、またまた勝手に廊下に遊びに出て行き、バッチリ看護師さんに怒られていました。

夜も、就寝時間21時と決まっているのに、騒々しく消灯しないばかりか、「ねえねえ、母ちゃん、DVD見るー」と子どもが言い出すと、かなりの音量で再生。

各床頭台にイヤホンあるんですけど、って感じです。もちろん、消灯時間無視。周りの3人小さい子が寝ていようが、寝かしつけている雰囲気をママたちが出していようが気にする様子もありません。

やはり、巡回に来た看護師さんに母子共に注意され、ようやくDVD鑑賞は終了となりましたが、そこからの就寝準備でドタバタ騒音を立てる始末です。

あげくに、「母ちゃんトイレー」と、室内にある共用トイレのドアをバタンと遠慮なしの騒音で開け、扉全開で水洗レバーをジャー。

さらに、トイレの中から「母ちゃんちょっと来てー」と大声で呼び、「何?うるさい!」と、さらにうるさく応答するママ。

こちらも、結構な状況で入院してるのに、あちらは入院と言えど元気な様子で迷惑三昧。

世の中、4人いると1人くらい、こういうモンスター家族がいるものなのかな、と心身共に疲れが増したという嫌な思い出があります。

8月 13

子供がマイコプラズマ肺炎にかかりました

子供の熱

我が家の子供が6歳だったころの夏のある日、熱を出し幼稚園を休みました。

初期症状は風邪とほぼ同じ

熱の他にも咳をしていて苦しそうだったので、かかりつけの小児科に診察してもらいました。先生の診断によれば、「風邪だろう」ということで、咳止めと鼻水の薬の他に、念のためと言ってペニシリン系の抗生物質が出されました。

貰った薬を飲んで、しばらく様子を見ていましたが、熱は下がることはなく、38度位のままで、子供は毎日咳が出て苦しそうなうえに、だんだんひどくなってきているような気がしました。また、いつも良く食べる子供が全く食欲もなく、ポカリスエットなどを飲むのがやっとでした。

心配しながらも病院でもらった薬を5日間ほど飲んで様子をみていましたが、症状は全く変わらず、よくなる気配がないばかりか、いつになくぐったりしている子供の姿を見て、あきらかにこれまでの風邪にかかったときと様子が違うと思いました。

「このまま良くならなかったらどうしよう」

と、とても心配になり、私はいてもたってもいられなくなり、翌朝一番でもう一度かかりつけの病院へ行きました。病院に着いて、診察の順番が来て診察室に入ると、私が子供の症状を説明する間もなく、熱と咳で苦しそうな子供の表情を見てかかりつけの先生の表情が変わり、すぐにレントゲンを撮ってみようと言い出しました。

マイコプラズマ肺炎と判明

レントゲン撮影

レントゲンを撮ると、子供の肺が半分ほど白くなりかけている様子がフィルムに写っていて、先生によると肺炎になっているという説明でした。そのころ、子供の通う幼稚園ではマイコプラズマ肺炎にかかっていた子供が多かったようで、先生の診断では我が家の子供もマイコプラズマ肺炎に感染している恐れがあるという話でした。

その診断を受けて、それまで処方されていたペニシリン系の抗生物質は中止して、マイコプラズマに効く、マクロライド系の抗生物質のクラリスが新たに処方されました。帰宅してその抗生物質の薬を飲ませると、子供の症状は次第に少しずつ落ち着いてきたようにみえ、前日までとは明らかに違って良くなってきているように思えました。

翌日には熱も下がり、子供の表情にも笑顔がでてくるようにまでなり、数日後念のため再度病院を受診し、レントゲンを撮ると、肺の白さはすっかり落ち着いていて、元に戻っていました。

適切な薬に切り替えたことで子供の体調が良くなってほっとしましたが、最初に処方された薬のままで肺炎がどんどん悪化していたら、今頃どうなっていたのだろうと思うと恐ろしくなります。

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